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水戸城

水戸城

水戸城の基本情報

名所水戸城
別名:馬場城
文化財史跡
区分
国の特別史跡
住所〒310-0011
茨城県水戸市三の丸
☎029-231-4725(弘道館事務所)
築城1190年頃
築主馬場資幹
入場料弘道館:一般200円小人100円
スタンプ
設置場所
弘道館料金所窓口


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水戸城の歴史

江戸時代には徳川御三家の城となった水戸城の歴史は古く、築城は平安時代にまで遡ります。

当時は城主が馬場氏であったことから馬場城と呼ばれていたそうです。

室町時代に江戸氏がこの城に入城し、以降170年間にわたって江戸氏の城でした。

1590年豊臣秀吉が小田原征伐を行った際に江戸氏は小田原北条氏に加担し、江戸氏の主家である佐竹氏は秀吉側に加担しました。

江戸氏と佐竹氏は度々対立していましたが、これにより常陸国54万石を与えられた佐竹氏は1594年に馬場城を攻め、籠城していた江戸重通は敗走しました。

この地を重要な拠点と考えた佐竹氏は太田城から馬場城に入城し、大規模な改修を行ったと共に城の名前も水戸城と改称しました。

順風満帆に見えた佐竹氏ですが1600年の関ヶ原の戦いでは西軍・東軍どちらにも属しきれず曖昧な態度をとっていました。

東軍勝利の際には戦勝祝賀の使者をおくり、家康に陳謝に向かいますが1602年、徳川家康によって水戸から追放され出羽国秋田の久保田藩に減転封されました。

この水戸城は伊達政宗のいる奥州に睨みをきかせるには最適の場所と考えた徳川家康は5男・信吉を入城させましたが後継ぎができないまま信吉が死去、10男の徳川頼宣を入城させました。

しかし、1609年、頼宣は駿府藩を与えられ、11男の徳川頼房が下妻城から水戸城へ移動し、それ以降は水戸徳川家の城となりました。

水戸城には天守がなく、二の丸に三階櫓が建てられていました。また、日本の城郭でよく見かける石垣も有りません。

これは元々丘陵地であったところに濠や土塁を多用して築かれた城であったためです。

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水戸城の観光ポイント

幕末には水戸藩の藩論がわかれ改革を求める天狗党と保守派の対立が起き、1864年には天狗党が挙兵し天狗党の乱が起こりました。

1868年、現在は国の特別史跡に指定されている藩校の弘道館に立てこもる保守派を天狗党が攻撃し、城内の多くの建物が焼失してしまいました。

その後も太平洋戦争の際の水戸空襲で三階櫓を焼失、そのため建築物として残っている遺構は二の丸へ通じる橋詰御門であったと推定される復元された薬医門だけです。

しかし、弘道館、薬医門ともに重厚な造りで見る者を圧倒します。

また、二の丸展示館には水戸城址から出土した数々の出土品や水戸城に関係する貴重な資料なども展示されています。

現在、水戸城址は整備がすすめられており、2015年に三の丸の杉山門が復元されました。

水戸城址に関わる数々の史跡は水戸駅北口に点在しており、町を散策しながら巡るのがオススメです。

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