飫肥城
飫肥城の基本情報
名所 | 飫肥城 別名:舞鶴城・鶴城 |
文化財史跡 区分 | 市指定史跡 |
住所 | 〒889-2535 宮崎県日南市飫肥9 ☎0987-25-4533 小村記念館 |
築城 | 戦国時代初期 |
築主 | 土持氏 |
入場料 | 大人600円 子供450円 小・中学生350円 |
スタンプ 設置場所 | 飫肥城歴史資料館 |
飫肥城の歴史
日南市の市指定史跡でもある飫肥城(おびじょう)は宇佐八幡宮の神官の出であり、武士団として勢力を伸ばしていた土持氏がこの地に築城したのが始まりと言われています。室町時代の終わりころ、九州制覇を狙っていた島津氏は土持氏を配下にし、自身の一族の一人である新納忠継を飫肥城へと入城させました。
飫肥城は島津氏の城の一つとなりましたが、1484年に日向の中北部を中心に力をつけていた伊東氏が土持氏を裏切り飫肥へ侵攻を開始しました。
島津氏は伊東氏の本格的な侵攻を恐れ、飫肥城の城主を交代し、島津豊洲家の支配下になりました。
その後、飫肥城を巡って島津氏と伊東氏は100年にもわたって覇権争いを繰り広げました。
長く争いを続けている間に世は豊臣政権へと移り変わり、伊東氏は豊臣秀吉の九州征伐に参陣し、その功績が認められ、1587年に飫肥城主となりました。
これにより、島津氏と伊東氏の争いに終止符が打たれました。
飫肥城の観光ポイント
非常にもろい地盤であるシラス台地の上に位置している飫肥城は、1662年頃から数回に渡り大きな地震被害に見舞われました。この地震で飫肥城は大きな被害を受け、1686年大改修が行われました。
この時に石垣や櫓などが設けられ、近世の城郭として生まれ変わりましたが、1873年の廃城令を受けて城内の多くの建物は破却されてしまいました。
そのため、築城当時を伝えるものは石垣のみとなっています。
しかし、御殿や櫓門、塀などが再建され情緒ある空間を作り出しています。