徳島城
徳島城の基本情報
名所 | 徳島城 |
文化財史跡 区分 | 国の史跡及び名勝 |
住所 | 〒770-0851 徳島県徳島市徳島町城内 ☎088-656-2525(徳島市立徳島城博物館) |
築城 | 1585年 |
築主 | 蜂須賀家政 |
入場料 | 徳島中央公園(徳島城跡):無料(見学自由) |
スタンプ 設置場所 | 徳島市立徳島城博物館受付カウンター |
徳島城の歴史
徳島城は詰めの城として使用されることが多い山城と麓にある平城からなる連郭式平山城です。この場所は鎌倉時代から伊予国の地頭・河野氏が支配していました。
1385年、室町時代に足利氏の一門で第6代細川京兆家当主の細川頼之が中国・四国地方の南朝方の勢力を討ち取り、城山に小城(渭山城)を築城したのが始まりと言われています。
戦国時代には度々城主が入れ替わり、群雄割拠の時代を迎えますが1582年に土佐国の長宗我部元親が侵攻し阿波を平定しました。
これにより、四国は長宗我部氏が統一したという考え方もありますが完成していないという研究者も多く見解が分かれています。
その長宗我部氏に背後を脅かされていた豊臣秀吉は四国出兵を考えるようになりました。
当初は秀吉も元親も交渉による和解を目指していましたが領地配分を巡る対立は平行線をたどり交渉は決裂し、1585年に秀吉は四国征伐を開始しました。
豊臣方の猛攻に1585年8月6日長宗我部元親は豊臣秀吉に降伏、交渉は蜂須賀正勝が仲介を務め、長宗我部氏には土佐一国が安堵され、人質の提出や徳川家康との同盟を禁止された他、長宗我部家当主による軍役が言い渡されました。
その後、蜂須賀正勝の子・蜂須賀家政が阿波一国18万6000石で入封し、当初は一宮城に入城しましたが入封してすぐに現在の徳島城の位置に大規模な平山城を築城し、以降江戸時代には徳島藩蜂須賀氏の居城として明治維新をむかえ、1873年の廃城令では存城処分、1875年には鷲之門を除く城内の建物が撤去されてしまいました。
徳島城の観光ポイント
現在は城跡の一部が公園として整備され、徳島中央公園は春には桜の名所としても市民憩いの場となっています。徳島城は国指定の史跡に指定されている他、表御殿庭園は国の名勝としても指定されています。
建物で現存しているものはありませんが1945年に徳島大空襲により焼失した鷲之門が1989年に復元されています。
石垣は山城・平城ともに多く現存していますが山城では三ノ丸の一部が平城では西の丸の大半が失われています。