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湯築城

湯築城

湯築城の基本情報

名所湯築城
別名:湯月城
文化財史跡
区分
国の史跡
住所〒790-0857
愛媛県松山市道後公園
☎089-941-1480(湯築城資料館)
築城1335年
築主河野氏
入場料無料(見学自由)
スタンプ
設置場所
湯築城資料館









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湯築城の歴史

湯築城は中世の城らしく丘陵地を利用した梯郭式平山城で1335年に当時、伊予国の守護を務めていた河野氏第27代当主・通盛によって築城されました。

1519年、河野氏第35代当主・道宣が死去すると家督は嫡男の通直が継ぎました。

1540年には室町幕府御相伴衆(室町幕府の将軍が殿中での宴席や他家を訪問する際に随従する役職で管領家や有力な守護大名のみに限定して与えられた役職)に加えられました。

その5年前の1535年頃に通直は湯築城の外堀を整備しましたが自身には嗣子がいなかったため、娘婿で村上水軍の頭領であった村上通康を後継者として迎えようとしましたが家臣団の反発と一族の予州家当主・通存と家督相続争いに遭い、通康と共に湯築城から来島城へと退去しました。

その後、家督を譲った通存の子・通政が早世してしまったため、実質的な当主の座に返り咲いています。

1581年頃から四国制圧を狙う土佐国の長宗我部元親が伊予国への侵攻を開始し、元親と度々交戦しました。

その後、1585年には豊臣秀吉が四国征伐を行い、秀吉の命を受けた小早川隆景らの軍勢に通直は湯築城にて一か月の籠城戦で戦いましたが降伏し、それから2年後に通直は病没、湯築城は小早川隆景に与えられましたが後に隆景は筑前に移封されました。

1587年、代わって福島正則が湯築城主となりましたが居城を国分山城に移したため、湯築城は廃城となりました。
 
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湯築城の観光ポイント

現在、湯築城跡は道後公園として整備されており、魚つかみ取り大会などのイベントも行われ、市民憩いの場として愛されています。

当時の建物は残っていませんが城郭の縄張りは非常に状態が良いまま残っており、堀や土塁を見ることができます。

また、家臣団居住区には武家屋敷が再現されています。

武家屋敷近く、西口を入ってすぐの所には湯築城資料館があり、発掘調査の際の出土品や城内での武士の生活の様子をわかりやすく解説したパネル展示が行われています。
 

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