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江戸城

江戸城

江戸城の基本情報

名所江戸城
別名:千代田城
文化財史跡
区分
国の特別史跡
住所〒100-8111
東京都千代田区千代田1-1
☎-
築城1457年
築主太田道灌
入場料無料(見学自由)
■3月1日 4月14日
9:00~16:30(最終入園16:00)
■4月15日 8月末日
9:00~17:00(最終入園16:30)
■9月1日 10月末日
9:00?16:30(最終入園16:00)
■11月1日 2月末日
9:00~16:00(最終入園15:30)
スタンプ
設置場所
①楠公休憩場
②和田倉休憩場
③北の丸休憩場


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江戸城の歴史

言わずと知れた徳川幕府の本拠地「江戸城」は別名「千代田城」とも言います。

築城は戦国時代に遡り、古河公方側と戦うための拠点として河越城(こちらも日本百名城の一つ)を築城した太田道灌によるもの平山城です。

当時の江戸は利根川の下流域にあたり、古河公方側の有力武将である房総の千葉氏と道灌の仕える扇谷上杉氏の勢力の堺目でもありました。

そのため、千葉氏の勢力を抑えるためにはこの地に拠点となるような城が必要でした。

1473年に扇谷上杉氏の当主である扇谷政真が討ち死にし、政真の伯父の上杉定正が扇谷上杉氏の当主となりました。

享徳の乱では道灌の活躍もあり、扇谷上杉氏は大きな勢力になっていきましたが、それと共に道灌自身も大きな力を手に入れていきました。

そのことが主君の定正には面白くなく、道灌に対して反感を持っていたといいます。また、道灌は功績が正当に評価されていないことに不満を募らせていました。

そして、1486年扇谷定正の屋敷に招かれた道灌は風呂場から出たところを曽我兵庫に襲われ暗殺されてしまいました。

黒幕は扇谷定正の他にも山内顕定説や北条早雲説などがあります。

道灌亡き後、江戸城は主家である上杉氏の所有となりましたが1524年に扇谷上杉氏が北条氏に破られたあとは小田原の後北条氏・北条氏綱の支配下に置かれます。

豊臣秀吉の小田原征伐が行われた1590年、江戸城は開城され、後北条氏の旧領地であった関八州を与えられた徳川家康が関東へ入封、その際に駿府から江戸城へと移りました。

江戸城が日本一の大きさを誇る城郭となったのは徳川家康が入城してからです。家康が入城した当時の江戸城は荒廃し、規模も小規模であったと言われています。

家康は本丸や二の丸などの増築を行い、1603年江戸幕府が開かれると家康は江戸城の拡張を行いました。

天守台などもこの時に作られました。その後、江戸城は200年以上も続く江戸幕府の中枢として城下町と共に繁栄しました。

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江戸城の観光ポイント

江戸城はその建物の多くが焼失してしまっていますが重要文化財に指定されている桜田門や田安門、清水門などを見ることができます。

また、皇居の東御苑である江戸城跡地は誰でも無料で見学することができ、石垣などの遺構や移築された茶室、大手町駅を降りてすぐにある大手門など多くの見どころがあります。

特に大手門は築城の名人とうたわれた藤堂高虎によるものなので是非とも見てほしいスポットです。

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