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福岡城

福岡城

福岡城の基本情報

名所福岡城
別名:舞鶴城
文化財史跡
区分
国の史跡
住所〒810-0043
福岡県福岡市中央区城内
☎092-721-0282(鴻臚館跡展示館)
築城1601年
築主黒田長政
入場料舞鶴公園(福岡城跡):無料(見学自由)
スタンプ
設置場所
福岡城内の鴻臚館跡展示館









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福岡城の歴史

福岡城は織田信長に仕えた後、豊臣秀吉の側近として名をはせた黒田官兵衛こと黒田孝高の子・黒田長政が築城した城です。

1600年の関ヶ原の戦いにおいて戦功をあげた黒田長政は、徳川家康から52万3000石を与えられて、豊前国から筑前国に入封しました。

筑前国には旧領主の小早川氏の居城であった名島城があり、長政も当初は名島城に入城しましたが名島城は手狭で城下町を整備するのにも困難であったため1601年福崎丘陵に新城を築城することにしました。

縄張りの総面積は24万坪という大規模な城で天守があったかどうかは不明です。

1607年に全ての工事が終わった後は歴代の藩主により二の丸御殿や西の丸御殿の増築などが行われ、幕末に藩主を務めた11代藩主・黒田長溥により大改修が行われました。

1873年に廃城令が発せられると城内の多くの建物は解体もしくは移築されてしまいました。
 
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福岡城の観光ポイント

現在は天守台の他、重要文化財に指定されている多聞櫓の他、県指定有形文化財として祈念櫓・潮見櫓・下之橋御門、市指定有形文化財の母里太兵衛邸長屋門・名島門が残っています。

また、黒田官兵衛が晩年を過ごしたと言われている御鷹屋敷跡や井戸なども残っています。

現時点では天守が存在したかどうかの真相はわかっていませんが天守台に礎石があることや1620年に豊前国小倉藩主であった細川忠興が自身の3男に宛てた手紙の中で、黒田長政が幕府に配慮して天守を壊すといったという内容が書かれていることから天守があったという説もあります。

また、発掘調査が行われた際には天守台周辺から瓦の欠片が出土していることから天守とはいかないまでも天守台には何かしらの建物があったということは確実ではないかと考えられています。

城内には福岡城むかし探訪館があり、黒田如水と長政に関するパネル展示や模型などが展示されています。

また、休憩所として利用できるスペースや周辺の観光案内などが併設されており、スタッフが館内展示の説明をしてくれます。
 

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