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首里城

首里城

首里城の基本情報

名所首里城
別名:ー
文化財史跡
区分
世界遺産
国の史跡
住所〒〒903-0815
沖縄県那覇市首里金城町1-2
☎098-886-2020
首里城公園管理センター
築城14世紀頃?
築主不明
入場料大人:820円
高校生:620円
小・中学生:310円
幼児・乳児:無料
※開城時間は時期により変動
スタンプ
設置場所
首里杜館(すいむいかん)
系図座(けいずざ)
用物座(ようもつざ)
北殿(ほくでん)


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首里城の歴史

首里城は那覇港を見下ろす丘陵地に築城された山城です。

沖縄県内でもその規模は最大で、琉球王朝の王城でした。沖縄本島が北山・中山・南山の三山に分かれて統治されていた時代にはこの地に中山の城があったということがわかっています。

王城として用いられるようになったのは尚巴志が三山を統一し琉球王朝を起こしてからで、それと同時にこの地は首府として栄えるようになりました。

首里城は幾度となく焼失しておりその度に再建されてきましたが、木材の調達はかなり問題となっていたようで、沖縄本島の北側で植林事業を行うなどしていたようです。

1453年には尚金福王の死後、王位争いが勃発し城内は完全に破壊され、1660年に二度目の焼失、1709年には正殿、北殿、南殿が火災により焼失しました。

このときの再建は薩摩藩から2万本余りの原木の提供を受けて再建されました。

首里城は本当に規模の大きい城だったようで、李朝実録の中の1456年頃の記録では、首里城は外城、中城、内城の三つの地区に分かれており、外城には倉庫や厩があり、中城には200人以上の警備兵がいたようです。

また内城には三階建ての閣があり、三階は宝物庫、二階には王が滞在し、一階は集会所となっていたと記されています。

1879年に沖縄県が置かれ、琉球王国がなくなって後はその役目を終え、日本陸軍の軍営や学校などに利用されていましたが、首里城は急速に荒廃し、門の一部は取り壊されていました。

老朽化が進む中、正殿の取り壊しも検討されていましたが、伊東忠太らの奔走により保存が決まりました。

しかし、太平洋戦争の沖縄戦で首里城の地下に陸軍の第32軍の総司令部が置かれていたことから、砲撃を受け、正殿は焼失、琉球王国の誇る宝物や文書など多くの文化財が破壊されました。

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首里城の観光ポイント

現在は琉球王国のグスク及び関連遺産群として世界遺産にも登録され、世界各国から多くの旅行者が訪れています。

1958年には守礼門が再建され、その他周辺の建物も再建されました。

太平洋戦争後、日本に沖縄が返還されると1972年に国の史跡に指定され、歓会門とその周囲の城郭が再建されました。

1979年には琉球大学が首里城跡から移転し、首里城は本格的に再建・復元されることとなりました。

いわゆる日本の城郭建築とは違い、中国と日本の築城文化が融合された独特な建築様式が用いられたこの城は、古くから中国との貿易が行われていたこの土地ならではの趣があります。

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