鹿児島城
鹿児島城の基本情報
名所 | 鹿児島城 別名:鶴丸城 |
文化財史跡 区分 | 県指定史跡 |
住所 | 〒〒892-0853 鹿児島県鹿児島市城山町7-2 ☎099-222-5100 |
築城 | 1602年頃 |
築主 | 島津忠恒 島津家久 |
入場料 | 公園内自由 |
スタンプ 設置場所 | 鹿児島県歴史資料センター黎明館内総合案内所 |
鹿児島城の歴史
鹿児島城は1602年に築城された平山城で、別名「鶴丸城」とも呼ばれています。鹿児島城があるこの地は、古くは南北朝時代に上山氏の居城「上山城」がありましたが、その後は島津氏に明け渡されました。
島津氏は77万石の大名でしたが、天守や高い石垣などは築かれなかったようです。
1600年の関ヶ原の戦いでは敗北を喫した西軍に属しており、これにより当時の当主であった島津義弘は引退、代わりに義弘の実子で兄の婿養子となっていた忠恒が当主となり、徳川幕府においては外様大名として存続することが許されていました。
この城は海岸に近い地に築城されており防御が非常に弱いことから、前当主の義弘は築城を反対していましたが、幕末の薩英戦争に至るまで実戦で用いられることはなかったようです。
しかし、薩英戦争では義弘が心配していたことが起こり、イギリスの軍艦から砲弾を撃ち込まれました。
また、鹿児島は災害の多い地域で幾度も焼失・倒壊し、白アリによる被害も多くその度に建て替えられました。
1874年に焼失して後は再建されていません。
鹿児島城の観光ポイント
現在、鹿児島県の県指定史跡となっている鹿児島城には石垣や堀などが遺構として残っています。石垣には西南戦争の際についたと言われている弾痕が残るなど、歴史の足跡を見ることができます。
また、出丸跡は西郷隆盛の私学校の跡地でもあります。
弾痕が残っているのは、私学校の石垣だそうです。
本丸の跡には鹿児島県歴史資料センターである黎明館が、二の丸跡には鹿児島県立の図書館、美術館、博物館があり、市民の憩いの場として、また、鹿児島の歴史や文化に触れることができる場所として人気があります。