岩国城
岩国城の基本情報
名所 | 岩国城 別名:横山城 |
文化財史跡 区分 | ― |
住所 | 〒741-0081 山口県岩国市横山3丁目 ☎0827-41-1477(錦川鉄道株式会社) |
築城 | 1601年 |
築主 | 吉川広家 |
入場料 | 岩国城天守閣:一般260円 |
スタンプ 設置場所 | 岩国城受付窓口 |
岩国城の歴史
岩国城は江戸時代に入ってすぐに築城された連郭式山城です。本丸を中心として二の丸や北の丸などの曲輪は配置されており、岩国城が築城された横山の麓に御土居が築かれました。築城した地名から横山城とも呼ばれています。
1600年、関ヶ原の戦いで徳川家康率いる西軍に敗れた毛利輝元は大幅に領地を減らされ、居城であった広島城から萩城に移封されました。
さらに毛利氏の一族で毛利氏存続に力を注いだ吉川広家も米子城から3万石で岩国へと移封となりました。
1601年に広家が赴任して直ぐ岩国城は築城が開始され、1602年に普段の居館である御土居が完成し、御土居完成と同時に有事の際に戦うための城として横山山頂に横山城が築城されました。
1608年に完成した城には4重6階の天守も建造されていました。
1615年幕府から発せられた一国一城令により横山城は廃城となります。
もとより岩国城しかありませんでしたがこの城まで破却となったのには理由があり、長府藩の毛利秀元が自身の居城であった櫛崎城を破却したため、これに合わせざるを得なかったためだそうです。
平時の居城として建てられた御土居は立藩後も陣屋として明治維新まで使用されましたが、この場所は本藩が長州藩で、様々な事情から独立した支藩としては認めてもらえなかったため、明治維新から廃藩置県までのわずかな間しか独立した藩の藩庁としては機能しませんでした。
岩国城の観光ポイント
現在、破却されてしまった山頂の天守は復興天守で築城当時は、現在の位値よりも30mほど離れた場所にあったそうです。復興天守の裏手には発掘復元された旧天守台があります。
この石垣は古式穴太積という積み方だそうです。
また、岩国城の東側には取り壊されずに残った当時のままの石垣も残っています。
天守の中は刀剣や甲冑などが展示されており、貴重な品を見ることができる他、展望台からは御土居跡にある吉香公園や城下町など岩国市内が一望できます。