吉田郡山城
吉田郡山城の基本情報
名所 | 吉田郡山城 |
文化財史跡 区分 | 国の史跡 |
住所 | 〒731-0501 広島県安芸高田市吉田町吉田 ☎0826-42-0070(安芸高田市歴史民俗博物館) |
築城 | 不明 |
築主 | 毛利氏 |
入場料 | 無料(見学自由) |
スタンプ 設置場所 | 安芸高田市吉田歴史民俗資料館 |
吉田郡山城の歴史
吉田郡山城がいつ築城されたのか詳しいことはわかっていませんが、城内にある神社は1325年以前に建立されていたことがわかっています。郡山城の築城はこの神社より遅いと考えられています。
しかし、1352年に毛利元春は吉田城と呼ばれる城にこもったことが記されており、また、1371年頃の毛利親衡の書状の宛先が郡山殿と宛てられていることから毛利元春が築城したとも考えられています。
築城について謎が多い吉田郡山城ですが1523年に毛利氏の第12代当主・毛利元就が入城し、郡山全体に城郭を拡張しましたが、いつ頃、どの程度の拡張が行われたかは定かではありません。
1540年には吉田郡山の戦いが起こり、尼子晴久率いる3万の軍勢を前に毛利氏は籠城、農民も含め8000人ほどが籠城したそうなので、この頃には城郭の拡張が行われていたのではないでしょうか。
吉田郡山城には城主だけではなく重臣たちの館も設けられていたといわれ、従来の山城が戦など必要な時に使用されるものだったのに対して、居館と城郭との両方の役割を併せ持つ城でした。
さらに元就の孫にあたる毛利輝元の時代には石垣や瓦なども使い、本丸の最上段には櫓が立てられるなどしました。
1591年広島城が完成すると毛利氏は山間部にあり、何かと不便の多い吉田郡山城から広島城へと本拠を移しました。
1615年、江戸幕府は一国一城令を発し、吉田郡山城も建物が取り壊されました。
1637年に島原の乱がおきるとキリシタンの決起を警戒した江戸幕府は吉田郡山城の石垣なども撤去されました。
吉田郡山城の観光ポイント
郡山の麓にある安芸高田市歴史資料館では毛利氏に関連した資料などが展示されていますが、中でも元就の当時の書状は本当に貴重な品なので是非見ておきたいものです。その他、吉田郡山城の模型もあり、全貌を把握しにくい山城をわかりやすく解説しています。
吉田郡山城では石垣や郭、井戸などの遺構を見ることができ、また、吉田郡山城から少し足を延ばしたところには毛利元就の墓所もあります。