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福山城

福山城

福山城の基本情報

名所福山城
別名:久松城・葦陽城
文化財史跡
区分
国の史跡
住所〒720-0061
広島県福山市丸之内1丁目8番
☎084-922-2117(福山城博物館)
築城1622年
築主水野勝成
入場料天守閣:一般200円 ※高校生以下は無料
スタンプ
設置場所
福山城天守閣内









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福山城の歴史

福山城は江戸時代初期に築城された城です。

1600年の関ヶ原の戦い以降、この辺りは福島正則が治めていましたが1619年、正則が武家諸法度に違反し改易されたため、徳川家康の従兄弟である水野勝成が西日本の有力な大名である毛利氏などを抑えるために大和国の郡山藩から10万石で転封しました。

それまで政治の中心となっていたのは西国街道沿いにある神辺城でした。

しかし、この神辺城はやや内陸にあり、また、過去に何度も落城した事があったため、特例として新しく築城することになりました。

この城を建造するにあたって築城以前にあった常興寺の移転や、城の北側にあたる部分に総構えの堀を兼ねた吉津川が通されました。

築城のための資材は福山城の築城に伴い廃城となった神辺城や伏見城などのものも多く使われました。

伏見櫓や月見櫓、御殿、追手御門、多聞塔などが伏見城から移築されだそうです。

勝成の死後も水野氏が城主を務めましたが5代目城主の勝岑は後継ぎが無いまま早世してしまい水野氏は断絶、福山藩は一時天領となりましたが、1700年に入城した松平忠雅が1710年伊勢国桑名藩に移封されられると下野国宇都宮藩から阿部正邦が入城し、その後も阿部氏が藩主を務めましたが、ほとんどが江戸住まいで福山城に帰城することはあまりなかったようです。

幕末には火薬が爆発し、櫓などが焼失し、その後の長州藩との戦いでは完敗しました。

福山藩は幕末の動乱の中で積極的に争いには参加せず傍観していましたが1868年、幕府側の重要な拠点であった福山城も攻撃を受けました。

1873年の廃城令により、本丸を除く敷地のほとんどは宅地や農地に転用され、天守や伏見櫓などわずかな建物を残して、その他は解体されました。
 
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福山城の観光ポイント

解体されずに残っていた天守は空襲により焼失してしまい当時のものは残っていませんが、現在は1966年に御湯殿、月見櫓と共に復元されています。

天守の中は福山城博物館になっており、福山城に縁のある甲冑や武具、家紋が入った瓦などの貴重な品が展示されています。

また、2階展示室には江戸時代中期に福山藩主を務めていた阿部家、3階展示室には江戸時代初期の福山藩主・水野家に関係する資料などが展示されています。

伏見櫓と筋鉄御門は重要文化財として指定されており、鐘楼も福山氏指定の重要文化財に指定されています。
 

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