大野城
大野城の基本情報
名所 | 大野城 |
文化財史跡 区分 | 国の特別史跡 |
住所 | 〒811-2105 福岡県糟屋郡宇美町四王寺 ☎092-932-7373(福岡県立四王寺県民の森管理センター) |
築城 | 665年 |
築主 | 大和朝廷 |
入場料 | 無料(見学自由) |
スタンプ 設置場所 | ①福岡県立四王寺県民の森管理事務所 ②太宰府市文化ふれあい館 ③大宰府展示館 ④大野城市総合体育館 |
大野城の歴史
大野城は福岡県にある古代山城でその歴史は古く築城は665年頃だと推定されています。大野城が築城されているのは大宰府政庁跡の北側に位置する、標高410mの四王寺山で山頂を中心として尾根から谷を巡る約6.8kmの城壁が土塁や石塁によって築かれています。
特に北と南は土塁が二重に築かれて防備がより堅固なものとなっています。
東西1.5km、南北3kmという非常に大規模な古代山城で城門は大宰府口をはじめとして合計9か所、また、城郭内の谷に自然と排水が行われるように石垣が設けられているなど随所に工夫がされています。
日本書紀には基肄城(きいじょう)と共にこの城を築城したと記されており、当時、城郭の建設を担当したのが百済から亡命してきた人たちであったため「朝鮮式山城」という構造になっています。
この城は663年に朝鮮半島の白村江で唐・新羅の連合軍と倭国・百済の連合軍の間に勃発した白村江の戦いに惨敗した後、大和朝廷が倭国の防衛のために築城した城です。
朝鮮式山城はいくつかの谷を含め、山の斜面や嶺に土塁や石塁を築き、山全体を囲むように巡らせて築城されています。
特に北九州から瀬戸内海沿岸で重要地点と考えられる場所に築城されたと言われていますが場所がわからないものもあります。
698年には大野城を含む三城が修復されたことは続日本紀に記されており、発掘調査の結果、大宰府口は三期にわたって建て替えが行われていることや築城後に倉庫として使用していたと考えられる総柱礎石建物の跡などが多数存在することがわかっています。