名護屋城
名護屋城の基本情報
名所 | 名護屋城 |
文化財史跡 区分 | 国の特別史跡 |
住所 | 〒847-0401 佐賀県唐津市鎮西町名護屋 ☎0955-82-4905(佐賀県立名護屋城博物館) |
築城 | 1591年 |
築主 | 豊臣秀吉 |
入場料 | 無料(見学自由) |
スタンプ 設置場所 | 佐賀県立名護屋城博物館 |
名護屋城の歴史
名護屋城が築城されたこの場所には水軍として有名な松浦四十八党の旗頭・波多氏の一族である名護屋氏の居城・垣添城がありましたが、秀吉が朝鮮半島へと出兵した文禄・慶長の役の際に遠征軍の宿営地として名護屋城が築城されました。縄張りは築城の名手と謳われるうちの一人・黒田孝高が命じられ黒田長政を総奉行として九州諸大名の普請により築城されました。
名護屋城の敷地面積はおよそ170.000㎡で五重天守や御殿も建てられ、さらに周囲には120ヶ所にも及ぶ陣屋がおかれました。
城下町も整備され、秀吉の唐入りの時期には政治・経済の中心地として繁栄しました。
しかし、1598年に秀吉が死去し、全軍撤退となったため名護屋城はその役目を終えました。
役目を終えた名護屋城はこの地を治めていた寺沢広高によって関ヶ原の戦い後の1602年、解体され、唐津城築城の資材として使用されました。
また、島原の乱が勃発した直後に江戸幕府老中の指示で破却されたという記録が残っているそうです。
名護屋城の観光ポイント
現在では建物は残っていませんが石垣や井戸などの遺構を見ることができます。ただ、敷地がものすごく広いので全ての遺構を見て回るのは少し大変かもしれません。
しかし、晴れた日には天守台跡から壱岐や対馬まで見渡すことができるそうなので景色を楽しむには良い場所です。
また、近くには朝鮮出兵のために日本各地から集められた有名武将たちの陣屋跡が残っています。
こちらは多くの場所が私有地となっており立ち入ることができない場所も多いのですが、加藤清正をはじめとして上杉景勝や直江兼続、長宗我部元親、石田三成など歴史好きにはたまらないラインナップになっています。
陣屋の入り口には誰の陣屋だったのか書いてありますので、お気に入り武将の陣屋跡を探してみるのも楽しいかもしれません。
名護屋城や陣屋から出土したものは佐賀県立名護屋城博物館に展示されていますので、城跡を散策した際にはこちらにも立ち寄ってみてはいかがでしょうか。