佐賀城
佐賀城の基本情報
名所 | 佐賀城 別名:栄城・亀甲上・沈み城 |
文化財史跡 区分 | 県指定史跡 |
住所 | 〒840-0041 佐賀県佐賀市城内2-18-1 ☎0952-41-7550(佐賀城本丸歴史館) |
築城 | 1602年 |
築主 | 鍋島直茂・勝茂 |
入場料 | 無料(見学自由) |
スタンプ 設置場所 | 佐賀城本丸歴史館受付 |
佐賀城の歴史
現在の佐賀県佐賀市のほぼ中心に位置する佐賀城は、輪郭梯郭複合式と城郭構造をした平城です。元々この地は龍造寺氏の居城であった村中城がありました。
龍造寺氏は九州北部で勢力をもっていましたが1584年に島津氏・有馬氏の連合軍に敗れて戦死、その後は龍造寺氏の家臣であった鍋島氏が実権を握りました。
この頃から鍋島直茂は村中城の改修を計画していたようですが村中城には当主の龍造寺政家がいました。
そのため、江戸幕府が成立し直茂が正式に佐賀藩主と認められた後の1602年に村中城の本丸改修が始められました。
佐賀城が完成したのは2代当主の勝茂の時で1611年のことです。
4重5階建ての天守も建造され、元の居城であった蓮池城は一国一城令により破却されました。
佐賀城は度々火災にあい1726年には天守以下本丸内の建物のほとんどが焼失し、1728年二の丸に御殿を建て藩政のほとんどは二の丸の御殿で行われました。
しかし、その二の丸も1835年の火災により焼失し、本丸の再建が行われ、以降は本丸で政務が行われるようになりました。
現存している鯱の門や続櫓は本丸が再建された時に建造されたもので、築城当初には建造されていた天守は1726年に焼失して以降再建はされていません。
明治政府が成立した後の1874年には佐賀の乱が起こり、反乱軍によって一時占拠された佐賀城は戦闘により建物のほとんどを失いました。
佐賀城の観光ポイント
現在は県指定史跡として指定されている佐賀城跡ですが建造物として残っているのはどちらも重要文化財に指定されている鯱の門と続櫓です。その他、場所は代わっていますが鍋島直正の居室であった御座の間は、一時水ヶ江大木公園の南水会館として移築されていましたが2004年に完成した佐賀県立佐賀城本丸歴史館に移築されて現在も建物が残っています。