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箕輪城

箕輪城

箕輪城の基本情報

名所箕輪城
文化財史跡
区分
国の史跡
住所〒370-3105
群馬県高崎市箕郷町東明屋
☎027-321-1292(高崎市文化財保護課)
築城1512年
築主長野業尚
入場料無料(見学自由)
スタンプ
設置場所
高崎市役所箕郷支所受付窓口


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箕輪城の歴史

箕輪城は長野業尚によって築城されたと言われています。ちなみにこの業尚は伊勢物語で有名な在原業平の子孫だという話もあるようです。

箕輪城は平山城ですが西には榛名白川があり、南には榛名沼があるという天然要塞でした。

この地は関東管領山内上杉氏がいましたが1546年河越夜戦で後北条氏に大敗し、越後の上杉謙信を頼り亡命すると小田原の北条氏康、甲斐の武田信玄、越後の上杉政虎が侵攻を繰り返すようになりました。

そのような戦乱の多い地で長野氏は上杉氏の後ろ盾を得て、在郷武士団「箕輪衆」を組織し武田氏の侵略に耐え、安定した地位を築いていました。

しかし、1561年に長野業正が死去、子の業盛が家督を継ぎ、業正の死は隠匿されましたが、それに気づいた武田信玄は近隣の城を打ち落とし、箕輪城を孤立させ再び侵略を開始、1566年武田氏の総攻撃を受けた箕輪城は上杉氏の援軍が到着する前に落城し、城主の業盛は自刃、以降箕輪城は武田氏の拠点となり、有力な家臣である甘利氏や真田氏が城代を務めました。

その後、天目山の戦いで武田氏が滅亡し、織田信長が本能寺の変で死去すると北条氏が侵攻し、城代の内藤氏がこれに下ったため北条氏が入城しました。

秀吉の小田原征伐の際には前田利家・上杉景勝の連合軍に攻撃され開城し、徳川家康が関東に入封したことで箕輪城は井伊直政に与えられましたが井伊直政が高崎に移封され廃城となりました。

また、この城は心霊スポットとしてもその名を知られているようです。一説には武田氏に攻められ自害した業盛と一族の霊だと言われていますが地元ではあまり浸透していないようです。

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箕輪城の観光ポイント

箕輪城は1987年に国の史跡に指定されていますが建物は現存しておらず、土塁や空堀の一部が残っているだけです。

しかし、二の丸・郭馬出間の土橋や郭馬出西虎口門などが復元されています。

城跡は敷地内に散策コースが設けられており、四季折々の花々を楽しむことができます。

また、毎年10月末に行われる箕輪城祭りでは武者行列や武田氏との攻防戦が再現されるなどの催しが行われ、毎年大きな賑わいを見せます。

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