松坂城
松坂城の基本情報
名所 | 松坂城 |
文化財史跡 区分 | 国の史跡 |
住所 | 〒515-0073 三重県松阪市殿町 ☎0598-23-2381(松阪市歴史民族資料館) |
築城 | 1588年 |
築主 | 蒲生氏郷 |
入場料 | 無料(見学自由) |
スタンプ 設置場所 | ①松阪市立歴史民俗資料館 ②本居宣長記念館 ※①②が休館日は松阪市観光センター |
松坂城の歴史
松坂城は1854年に起こった小牧・長久手の戦いで豊臣と織田信雄が和睦した際に条件として信雄から秀吉に譲られた伊勢と伊賀のうち、伊勢国12万3千石を与えられた蒲生氏郷が築城した城郭式平山城です。伊勢を与えられた氏郷が近江国日野城から最初に入城したのは織田信雄が築城した松ヶ島城でしたが、この城は伊勢湾に面しており、城下町が発展しないと考え現在の場所に築城したのが松坂城です。
築城は領内の寺院を取り壊すなどして資材を転用し、大急ぎで行われました。
城下町には氏郷の旧領である近江から商人を呼び寄せて町の中心に楽市楽座を設け、松ヶ島の住人を強制的に呼び寄せました。
また、港町には伊勢大湊から豪商の角屋氏を呼びました。
1590年、秀吉が行った小田原征伐の際に武功をあげた氏郷は陸奥国会津60万石に出世し若松城へと移りました。
氏郷の後に入城した服部一忠は1595年豊臣秀次事件に連座したとして秀吉から叱責を受け自害、代わって古田重勝が入城しました。
1600年、関ヶ原の戦いの軍功で2万石を加増されましたがこの年に重勝が死去し、家督を相続した嫡男の重恒はまだ幼かったため重勝の弟である重治が実権を握りました。
1619年に古田氏が石見国浜田城に転封となったのを機にこの地は紀州藩の藩領となりました。
その際、松坂城は当地統括を行う城として城代がおかれ、紀州藩領として明治維新を向かえ1871年の廃藩置県により廃城となりました。
松坂城の観光ポイント
現在、松坂城の跡地は松阪公園として整備されており、また、松坂城趾として国の史跡に指定されています。建物は残っていませんが見事な石垣を見ることができます。
この石垣は野面積という石を加工せずに大小様々な大きさや形の石を巧みに積み上げる方法で造られています。
切込積などと違って美しさはないものの無骨な力強さを感じさせる石垣です。そして圧倒される高さがあります。
当時の二の丸の後は公園として整備されており市民の憩いの場となっています。
そこから櫓台へ上ると下に御城番屋敷が見え、三の丸だったところです。
その他、本居宣長の旧宅を移築したものがあり、本居宣長記念館が併設されています。