和歌山城
和歌山城の基本情報
名所 | 和歌山城 別名:竹垣城・虎伏城 |
文化財史跡 区分 | 国の史跡及び名勝 三大連立式平山城 |
住所 | 〒640-8146 和歌山県和歌山市一番丁3 ☎073-422-8979(和歌山城天守閣) |
築城 | 1585年 |
築主 | 豊臣秀長 |
入場料 | 一般410円 小中学生200円 |
スタンプ 設置場所 | 和歌山城天守閣楠門受付 |
和歌山城の歴史
和歌山城は三大連立式平城の一つとして有名な城で現在は本丸と二の丸の部分が和歌山城公園として整備されています。この城は安土桃山時代に豊臣秀吉の弟・秀長が築城しました。
1585年、紀州征伐の副将であった秀長は紀州平定後に紀伊と和泉の2国を任され、秀吉の命で当時、若山と呼ばれていたこの地に自ら縄張りを行い築城しました。
築城の際の普請奉行には築城の名手とうたわれる藤堂高虎、その補佐役として羽田正親、横浜良慶が任ぜられ、地名もこの時に和歌山に改めました。
1586年、桑山重晴が3万石を与えられ城代として城を預かると重晴は本丸を中心に改修し、1596年隠居すると城代は孫の一晴が継ぎました。
1600年の関ヶ原の戦いの後、桑山一晴は東軍に属し、正式に紀伊と和歌山を与えられましたがほどなくして大和新庄に転封となり、和歌山城へは浅野幸長が紀州藩主として入城しました。
1619年、徳川家康の十男・頼宣が和歌山城へ入城し、御三家の一つである紀州徳川家が成立しました。
頼宣は1621年から大規模な城の改修と城下町の拡張を行いました。あまりにも規模が大きかったために幕府から謀反の嫌疑をかけられるほどだったといいます。
1655年、和歌山城西の丸に隣接していた家臣の屋敷から出火し、西の丸と二の丸に延焼し、1813年には西の丸の大奥から出火し、西の丸御殿は全焼しました。
1846年、落雷が天守曲輪に直撃し、大小天守など御殿を除く本丸の主要な建物が全焼、当時、武家諸法度(江戸幕府が武家を統制するために出した掟)により天守の再建は禁止されていましたが紀州徳川家という家柄で御三家であったために特別に天守の再建が行われました。
1871年に廃城となり、他の多くの城と同様に和歌山城も解体・移築されました。
和歌山城の観光ポイント
和歌山城は現在公園として整備されている他、天守などが再建されています。重要文化財として指定されている岡口門や別名「紅葉渓庭園」とも呼ばれている西の丸庭園は趣ある日本庭園で藩主が隠居所としていたようです。
紅葉の時期には池にある鳶魚閣と色づいた葉の情緒ある風景を楽しむことができ、名勝としても知られています。
動物園や茶室もあり大人も子供も楽しむことができ、公園内には忍者?が潜んでいるらしいです。
忍者の出没場所としては天守閣付近や表坂登口付近が多く、時には公園内のその他の場所にも潜んでいます。
様々なおもてなしの術で楽しませてくれますよ。