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お城マニアが教える名城の歴史
名古屋城

名古屋城

名古屋城の基本情報

名所名古屋城
別名:名城・金鯱城・金城・楊柳城・他
文化財史跡
区分
国の特別史跡
三名城
住所〒460-0031
愛知県名古屋市中区本丸1-1
☎052-231-1700(名古屋城総合事務所)
築城1609年
築主徳川家康
入場料一般500円
※中学生以下は無料
スタンプ
設置場所
①正門改札所
②東門改札所


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名古屋城の歴史

名古屋城は織田信長が誕生したと言われる織田氏の城「那古野城」の跡に徳川家康が築城したと言われています。

築城年は1609年で城主は家康の9男義直で以降名古屋城は尾張徳川家の居城となりました。

伊勢音頭にも歌われている国の特別史跡で大阪城や熊本城と共に日本三名城の一つとなっています。

名古屋城のある場所は元々、今川氏親が尾張に進出するための拠点として築いた柳之丸があった場所で1532年に織田信長の父・織田信秀が今川氏豊から奪い那古野城と改名しました。

一般的に信長は1534年にこの那古野城で生まれたと言われています。

信長が2歳の時に、那古野城城主となり父の信秀は古渡城へと移りました。

信秀の死後、家督を継いだ信長ですが清州織田家の当主・織田信友は信長の弟・信勝の家督相続を支持し、敵対する信長を殺す計画を立てますが尾張の守護・斯波義統が信長に計画を密告し、激怒した信友によって殺害されてしまいます。

殺害された義統の息子・義銀が落ち延びてくると信長は叔父の守山城主・織田信光と手を結び、尾張守護代の織田信友を主君殺害の謀叛人として討ち倒しました。

これにより、清州織田家の嫡流は滅び、代わって信長が織田氏の頭領となりました。

この時に清州織田家の城であった清州城へ信長が移り、那古野城は廃城になりました。

信長が移った清州城は長い間、尾張の中心でしたが江戸時代に入り、清州城が水害に弱い土地にあった事、関ヶ原の合戦以降政治の情勢が変化したことなどの理由から、徳川家康は名古屋城の築城を決定しました。

名古屋城の築城は天下普請で行われ、縄張りは牧長勝が行い、特に高度な技術を必要とした天守台の石垣は藤堂高虎や黒田孝高などと並び築城の名手として知られる加藤清正が担当しました。

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名古屋城の観光ポイント

当時の天守や本丸御殿などは昭和20年の名古屋空襲で焼夷弾の直撃をうけ焼失してしまい残っていません。

現在ある天守は市民や日本各地からの寄付によって再現されたもので金の鯱も復元されました。

近年、本丸御殿の復元が行われており、戦禍を免れた本丸御殿の障壁画も復元模写が行われています。

また、鉄筋コンクリートで再建された天守においても木造で再建し直すという案もあるそうです。

天守台の下の石垣には築城当時に石垣を担当した大名や家臣のつけた印が残っているようです。

これは他の大名たちが運んだものと区別するためにつけた目印だと言われています。

様々な刻紋があるようなので探してみるのも楽しいかもしれません。

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