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二条城

二条城

二条城の基本情報

名所二条城
文化財史跡
区分
世界遺産
国宝6棟
国の史跡及び名勝
住所〒604-8301
京都市中京区二条通堀川西入二条城町541
☎075-841-0096
築城1603年
築主徳川家康
入場料一般 600円
中学生高校生350円
小学生200円
スタンプ
設置場所
①大休憩所
②元離宮二条城事務所


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二条城の歴史

現在の二条城は徳川家康が築城したもので輪郭式平城です。築城当時は天守もあったようです。

歴史に度々登場する二条城ですが現在残っている二条城の他にも二条城と呼ばれるものがありました。

室町幕府の13代将軍足利義輝の居城で幕府の重鎮・斯波氏の屋敷跡に建てた二条御所武衛陣の御構え、その次は足利義昭のために織田信長が築城した二条城です。

これは義輝の二条御所武衛陣の御構えのあった場所を中心として北東に拡張し、堀や三重の天主を備えた城郭のような邸宅だったそうです。

しかし、義昭と信長の関係が悪化し、信長の追討令を出した義昭は二条城で挙兵します。

この時義昭が挙兵したのは現在の二条城ではなく、信長が築城した二条城です。

第3の二条城は織田信長が1576年京へ滞在した際に宿泊した寺の東側にあった二条家の邸宅の庭を気に入っていました。

邸宅の住人であった二条晴良と昭実は信長の計らいで新邸に引っ越し、空家となっていた邸宅を信長が京へ滞在するときの宿所として改修「二条御新造」として信長が居住していました。

1579年、この屋敷は皇太子の誠仁親王に献上されました。

本能寺の変の後、信長の嫡男・信忠が討ちとられたのはこの二条城で親王に献上された後は二条御所と呼ばれていました。

そして、現在の二条城は徳川家康が築城したものです。

1601年関ヶ原の戦いで勝利を収めた徳川家康は自身が上洛した時の宿舎として二条城の築城を決定し、1602年御殿・天守の造営が開始されました。

1603年に天守を残し落成、1606年に天守も完成しました。1603年伏見城で征夷大将軍補佐に任命された家康は3月12日、二条城へ入城しました。

27日には二条城に重臣や公家を招き、将軍就任の祝賀を執り行っています。

江戸時代から現在に至るまで二条城というのは徳川家康が築城した二条城のことです。

現在は国宝6棟を有し、世界遺産としても登録されている二条城ですが1634年に徳川家光が入城したのを最後に将軍が入城することはなくなりました。

そこから二条城は徐々に建物の老朽化が進み、落雷により天守は焼失、天明の大火では本丸御殿や隅櫓が焼失しました。

これらの建物は再建されず、破損個所を修復するにとどまりました。

1682年14代将軍徳川家茂が上洛するにあたって二条城の改修が行われました。

二の丸は全面的に修復され、本丸に仮御殿が建てられました。

1866年12月15代将軍徳川慶喜が二条城で将軍拝命の宣旨を受け、1867年9月宿所を二条城へと移し翌10月に大政奉還が行われ将軍職を返上しました。

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二条城の観光ポイント

現在、二条城と言って思い浮かぶ建物は江戸時代に全面修復された二の丸御殿で武家風書院造、国宝に指定されている6棟から成っています。

本丸のあった位置には京都御苑内にあった旧桂御殿を移築したもので皇女和宮縁の建物です。

本丸御殿の内部は見学できませんが二の丸御殿の中は見学することができます。

中は大政奉還が行われた様子などが人形を使って再現されています。

また、二の丸御殿で有名なのが鴬張りの廊下ですが残念ながらこちらを歩くことはできないようです。

他にも江戸時代の二の丸庭園・明治時代の本丸庭園・昭和の清流園と趣の異なる3つの庭園があり、中でも二の丸庭園は国の特別史跡及び名勝に指定されています。

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