大阪城をもっと楽しく観光するポイント
大阪城で桜を見るなら西の丸庭園がおすすめ
大阪城の桜の見頃は3月あたりがとても綺麗ですが、かなりの混雑が予想されます。ここでの観光ポイントは、有料の西の丸庭園であれば比較的ゆっくりと桜を見ることが可能だと言われています。
ソメイヨシノを中心とした桜が600本あり、見事に咲いています。
さらに混雑を避けるのであれば、朝早くに行かれることをおすすめします。
大阪城公園へのスムーズなアクセス方法
大阪城公園へは、「大阪駅」から「東梅田」を目指し、そこから地下鉄に乗り換えて「谷町四丁目」で降りると近くなります。大阪城公園へ一番近い出入口は階段しかありません。
高齢者の方やエレベーターが必要場合は、「1-A」出口にエレベータがあるようなのでそちらを利用しましょう。
公園内は大阪城テラスなどの商業施設もあり、通路も整備されていますので歩きやすくなっています。
西日本最大規模の大阪城ホール
大阪城ホールは1983年の大阪城築城400年を記念として大阪城青屋口に建設された、西日本最大規模の多目的ホールです。陸上競技会が開催できるアリーナでもあり、ドームは楕円形をしていて、大阪城近辺の景観を損なわないように本体部分は地下に作られています。
地上部分も大阪城の景観に合わせて、大阪城石垣と同じ花崗岩を約22000個使い、石垣で囲まれています。
館内にはホテルニューオータニ大阪のレストランがあり、桜の時期にはレストランの窓越しから大井川に咲く桜を眺めながら食事が楽しめます。
100種類の梅が楽しめる大阪城梅林
大阪城公園内の大阪城二の丸東部分にある約1.7万㎡の敷地に約1270本の美しい梅林があります。寒梅、八重野梅、小梅、豊後など約100種類の梅が、1月~3月の期間を楽しめるよう早咲きから遅咲きの梅が植えられています。
大阪城を背景に梅の花を見ながら、その香りも楽しめます。
大阪で最も強いパワースポットと呼ばれる豊國神社
豊國神社は森ノ宮駅から徒歩約1分の大阪城公園内にあり、豊臣秀吉、秀頼、秀長を祀られている神社になります。大阪で最も強いパワースポットと言われおり、御利益は、出世の達人、豊臣秀吉の恩恵で出世開運・商売繁盛です。
お守りを買うなら出世開運を叶えてくれる「千成瓢箪御守り」がおすすめです。
大阪の歴史と文化が満喫できるミライザ大阪城
ミライザ大阪城の屋上レストランが3/1にオープンします。重厚感ある旧第四師団司令部庁舎で大阪城天守閣や高層ビル群を眺めつつのBBQ。酔える条件が整いすぎてる気がします(^^)
— shoken@ビル景 (@bbbuilding100) 2018年2月28日
※写真は2017年撮影 pic.twitter.com/qYD6bbAi3k
ミライザ大阪城は、昭和天皇の即位を記念して昭和6年(1931年)に市民の寄付によって、大阪城天守閣の再建、大阪城公園の新設にあわせて、大阪城本丸広場に旧第四師団司令部庁舎として建設されたものです。
現在は改修されて商業施設となり、新たなスタートを歩んでいます。
天守閣を間近にレストランやカフェなどの飲食店もあり、オリジナルグッズや土産物などを販売する店舗もあります。
また、屋上では春から秋にかけてバーベキュー&ブッフェを味わうことができ、年間を通してさまざまなイベントを予定されています。
様々な客層に向けて大阪の歴史と文化を満喫できる施設です。
大阪城山里丸で最期を迎えた秀頼と淀殿
大阪城山里丸
— 田代 和樹 (@saltgyhj) 2017年7月23日
ここに秀頼、淀殿ら自刃の地があります
「真田丸」見てたからかなんか悲しなります(´-ω-`)
皆さんお手を合わせていない方が多い( ̄▽ ̄;) pic.twitter.com/7oZBVZ2V1W
大阪城山里丸は慶長二十年(1615年)に起こった大坂夏の陣の際、徳川軍に追い詰められた豊臣秀頼とその母淀殿が山里丸にあった櫓に潜み、最後を迎えたということで知られています。
その場所がここ大阪城山里丸になります。
現在、平成9年(1997年)に山里丸の広場の一画に石碑が大阪市によって建てられ、多くの観光客が訪れています。
大阪城本丸内にある蛸石と振袖石
大阪城本丸の入口、桜門を入った場所に巨大な蛸石(たこいし)があり、蛸石とは表面の模様がタコに見える事から名前が付いたと言われています。蛸石は大阪城で最も大きい石とされ、広さは畳約36枚分もあり見ごたえがあります。
また、蛸石の左側にも大きな石があります。これは大阪城で3番目に大きい振袖石(ふりそでいし)です。
振袖石の大きさは畳約33枚分もあり、こんな巨石をクレ-ンや重機が無い時代に人力のみで動かすことが出来た昔の人の凄さを実感できる場所です。
難攻不落の大阪城を築いた豊臣秀吉
大坂城は、三方を川に囲まれ攻め入るためには南方の平野部しかなく、攻めてくる敵の兵もこの南側の1点に絞られるので非常に守りやすくなります。豊臣秀吉は頭が良く城攻めの名手です。攻めるのが得意ということは、城の弱点を知り尽くしていてそれを活かすことが出来たことが言えます。
秀吉は15年間をかけて大坂城の改修を何度も行い、弱点が無い難攻不落の城を築きました。
大坂城が戦国最強の城と言われているのは、1614年の『大坂冬の陣』にて徳川幕府が全国から集めた20万もの大群を相手に、講和まで持ちこんだからです。
天下の大軍を相手に『降伏(負け)』ではなく、実質勝ちにも等しい 『講和(引き分け)』に持ちこめた実績が戦国最強の城と言い語られているのです。