丸亀城


丸亀城の基本情報

名所丸亀城
別名:亀山城・蓬菜城
文化財史跡
区分
国の史跡
現存天守
住所〒763-0025
香川県丸亀市1番丁
☎0877-22-0331(丸亀市観光協会)
築城室町時代初期
築主奈良元安
入場料天守:一般200円小人(小中学生)100円
スタンプ
設置場所
丸亀城天守閣
※(天守閉館期間中は丸亀市立資料館)

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丸亀城の歴史

丸亀城は現存天守を有する城で標高66mの亀山の周りを内堀で囲み、麓から山頂まで4重に石垣が重ねられています。

石垣の積み方は古い時代に多く用いられた野面積みと戦国時代末期以降に用いられた強度を増すことができる算木積という方法で土台が組まれ、石垣の上部が垂直になるように反りを持たせた独特の勾配となっています。

この場所には室町時代初期に中国・四国地方の管領を務めた細川頼之の重臣・奈良元安が築いた砦がありました。

1597年に豊臣秀吉の家臣で高松城主であった生駒親正がここに支城として丸亀城を築城しました。

1600年の関ヶ原の戦いでは親正は西軍、息子の一正は東軍に与し、一正の勲功により讃岐国一国を安堵されていました。

大阪夏の陣で豊臣氏が滅亡し、江戸幕府が成立すると一国一城令により、生駒氏は高松城を残して支城であった丸亀城は廃城となりました。

廃城となった城の多くが破却されるなか丸亀城は当時の藩主生駒正俊によって要所要所を樹木などで覆い隠され、さらに立ち入りを厳しく制限されていたため破却を免れました。

1604年に生駒氏はお家騒動により出羽国矢島藩に転封となり、生駒氏が藩主を務めていた讃岐藩は西条藩・今治藩・大洲藩が分割統治をするようになりました。

そんな中、1641年に西讃地域に肥後国富岡藩から山崎家治が5万石で丸亀城に入城し、丸亀藩が成立しました。

1643年、家治は丸亀城の改修に着手しました。

この時、丸亀藩は幕府から参勤交代を免除された上に銀300貫が与えられていることから、この頃瀬戸内の島々に多くいたキリシタンの蜂起に備えるためではないかと言われています。

しかし、1658年に3代続いた山崎氏は後継者が無いためにお家断絶で改易となり、代わって播磨国龍野から京極高和が6万石で入封し、明治時代まで丸亀藩を治めました。

高和は城の裏手にあたる海側の搦手門を大手門とし、さらに大手門から見上げる形で御三階櫓を造りました。

この改修には32年という長い時間が費やされ、現存している石垣のほとんどがこの時の大改修によって完成したものだそうです。

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丸亀城の観光ポイント

重要文化財となっている天守や大手一の門・二の門はもちろん見どころですが丸亀城跡に現存している門や長屋、番所などは当時のものですので歴史の重みを感じさせます。

そして丸亀城といえば石垣というくらいの見事な石垣は様々な積み方を駆使して強度を増し、扇の勾配という特殊な構造をしている珍しい石垣です。

4重に重ねられた石垣は合わせて60mと日本で総高が一番高い石垣となっています。

先に書いた算木積や野面積だけではなく、切込み接ぎや鏡石、打ち込み接ぎなどを見ることができます。

その中でも特に三の丸の石垣は隙間なく間詰め石を詰めて積み上げられており、非常に美しい石垣となっています。

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