今治城
今治城の基本情報
名所 | 今治城 別名:吹揚城・美須賀城 |
文化財史跡 区分 | 県指定史跡 三大水城 |
住所 | 〒794-0036 愛媛県今治市通町3丁目1-3 ☎0898-31-9233(今治城管理事務所) |
築城 | 1602年 |
築主 | 藤堂高虎 |
入場料 | 天守閣:一般500円学生250円 |
スタンプ 設置場所 | 今治城天守閣 |
今治城の歴史
今治城は高松城・中津城と並んで三大水城として有名で築城の名手と謳われた藤堂高虎の城となり、愛媛県の県指定史跡にも指定されています。今治城が築城される以前はこの地の支配拠点は唐子山にあった国府城でしたが山城は何かと不便が多く、より効率よく城下町などを治めるために今治城は築城されました。
1602年、藤堂高虎によって築城が開始された今治城は2年後の1604年に完成し、三重の堀に海水を引き入れるという海に面した城ならではの構造をしています。
築城当時は海と堀が繋がっており、直接船で出入りができるようになっていたようで海上交通の要でもあったこの今治の地において海を最大限に活用した城です。
縄張りは広大で二の丸に藩主の館、中堀の内側には側近の武士の屋敷があり、外堀の中には侍屋敷があったようです。
その他にも城門は9ヶ所、櫓は20ヶ所という大規模な城で1609年に高虎が伊勢国津城に移封となってからもこの地は飛び地として高虎の養子・高吉が居城しました。
しかし、1635年に高吉も伊賀国名張に移封となり、伊勢国長島城から松平定房が入城し、以降明治まで松平氏の居城となりましたが1871年の廃城令発令前に廃城となり、城内のほとんどの建物が破却され、この時に破却を免れた二の丸武具櫓は1871年に発生した火災により、内部にあった火薬に引火したことが原因で爆発し炎上してしまいました。
今治城の観光ポイント
現在、城跡には鉄筋コンクリートで建てられた天守閣があり、多聞櫓や山里櫓が再建されています。天守の中は展示室となっていて徳川将軍の朱印状や今治藩主の甲冑、刀、槍などの武具の他、企画展示も行われており、最上階は展望台となっています。
また、多聞櫓の中は自然科学館として山里櫓は武具や古美術品が展示されています。
その他、石垣や内堀はほぼ江戸時代から姿を変えていませんが一部改修されています。