宇和島城


宇和島城の基本情報

名所宇和島城
別名:鶴島城
文化財史跡
区分
国の史跡
現存天守
住所〒798-0060
愛媛県宇和島市丸之内1
☎0895-22-2832(宇和島城天守)
築城1236年
築主西園寺公経
入場料天守:一般200円小中学生100円
スタンプ
設置場所
宇和島城天守

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宇和島城の歴史

宇和島城の歴史は古く、この地に最初に砦が築かれたのは941年の藤原純友の乱を鎮定する際に橘遠保が構えたものだと言われています。

その後、1236年に宇和島地方を勢力下においた西園寺公経が現在の位置に砦を築きました。この時は小規模なものだったようです。

1546年には家藤藍物が城主となり、藍物が去った後は西園寺宣久の居城となりました。

1585年に秀吉が四国討伐を行って以降は小早川隆景の所領となり、小早川氏の家臣・持田右京が宇和島城代を務めました。

1587年に小早川隆景が筑前国に転封となり大洲城に戸田勝隆が入城すると宇和島城には城代として戸田与左衛門が入城しました。

現在のような縄張りになったのは1595年に藤堂高虎が宇和島郡7万石を拝領してからのことで1596年から高虎は宇和島城の築城に着手し、城の城郭は加藤清正と並び築城の名手と謳われた藤堂高虎らしく数々の工夫がされており、城の外郭は不等辺五角形になっています。

1601年に現在の城郭が完成し、宇和島城と名付けられましたが完成した時には1600年の関ヶ原の戦いで功のあった高虎は国府に移封となることが決まっていました。

そのため、高虎は宇和島城の完成を見届けた後に移封し、完成した宇和島城に入城することはできませんでした。

1608年、富田信高が伊勢国から転封し、宇和島城へ入城、1613年に信高が改易となってからは宇和郡は徳川幕府の直轄地となり代官を務めた藤堂高虎の従兄弟・良勝が城代を務めました。

1614年、伊達政宗の長男・秀宗が入封し、翌年の1615年に入城しました。1662年から城の老朽化に伴い改修が行われました。

明治時代にはいり1900年には櫓や城門の解体が行われましたが天守は解体されず現在も残っています。
 
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宇和島城の観光ポイント

国の重要文化財に指定されている現存天守は藤堂高虎が築城した当時のものではなく、伊達宗利が行った城の改修工事の際に建て替えられたものだそうです。

それでも江戸時代に建てられた建物で3重3階独立式層塔型の美しい天守は当時の面影を今に伝えています。

門や石垣などの遺構ものこり、中でも上り立ち門は派手ではないものの日本の建築の趣があり、城山の木々と相まって静かなたたずまいを見せています。
 

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