盛岡城
盛岡城の基本情報
名所 | 盛岡城 別名:不来方城 |
文化財史跡 区分 | 国の史跡 |
住所 | 〒020-0023 岩手県盛岡市内丸1-37 ☎019-604-3305(観光文化情報プラザ) |
築城 | 1598年(慶長3年) |
築主 | 南部信直 |
入場料 | 盛岡城跡公園(岩手公園):無料(見学自由) |
スタンプ 設置場所 | ①観光文化情報プラザ(プラザおでって2階) ②もりおか歴史文化館 |
盛岡城の歴史
元々は甲斐源氏の一族だった南部氏は南北朝時代に北畠顕家と共に後醍醐天皇の皇子である義良親王を奉じて宮城県に下向し、青森県八戸市に根城を築城し、本拠地としました。師行の死後、弟の政長が跡を継ぎましたが室町幕府からの降伏勧告をはねのけ、南朝への忠誠を誓いました。
しかし、京の南朝方が衰えてくると同時に津軽地方で勢力を伸ばしていた南部氏も次第に力を失っていきました。
その後、南部氏8代の八戸政光がお家再興を図るも同族である三戸南部氏が勢力を強め、豊臣秀吉の小田原討伐の際、宗家の三戸城南部信直が豊臣秀吉のもとに帰参し、所領の南部7郡を安堵され、1598年京の地にいた信直は嫡男の利直に盛岡城の築城を命じました。
関ヶ原の戦いでは利直は徳川方の東軍に属したため所領を安堵され、江戸時代には盛岡藩の中心として栄えました。
盛岡城の観光ポイント
国の史跡に指定されている盛岡城の石垣の美しさは東北随一と言われています。石は全て城内及び周辺の花崗岩が使用されており、石垣の積み方も自然石をそのまま積み上げ「野面積」石を粗く割って積み上げる「乱積」石の形を整えてから積み上げる「布積」の異なった積み方が見られます。
また、園内にある彦御蔵は江戸時代に建てられた建物となり、江戸時代末期の土蔵で参勤交代の際の道具をしまっていたと考えられています。
内堀であった場所には亀ヶ池、鶴ヶ池という二つの池があり、藤棚やアジサイの時期にはより一層情緒あふれる風景を見ることができます。
盛岡城跡は盛岡城址公園としてもきちんと整備されており、園内には8か所の東屋や梅林、多目的広場も設けられ、様々な催しものも行われています。
また、市の指定文化財に指定されている時鐘や石川啄木の歌碑や新渡戸稲造の文学碑など縁のある文化人の碑も多くあります。