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岡山城

岡山城

岡山城の基本情報

名所岡山城
別名:烏城・金烏城
文化財史跡
区分
国の史跡及び特別名勝
住所〒700-0823
岡山県岡山市北区丸の内2-3-1
☎086-225-2096(岡山城事務所)
築城1597年
築主宇喜多秀家
入場料一般300円
小中学生120円
スタンプ
設置場所
岡山城天守閣入口









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岡山城の歴史

戦国時代、備前から美作~備中東部まで勢力を伸ばしていた宇喜多氏が築城した城で、元々は当時複数の川に分岐していた旭川河口部のデルタ地帯にあった岡山。

石山、天神山の3つの丘の内、石山にあった石山城に入城した宇喜多直家が石山城を改築し、直家の子・秀家が隣接していた岡山に新しく本丸を設け、以前からあった石山城を取り囲むような形で城郭を建造しました。

それ以前にこの地には南北朝時代に上神高直が城を築いていたようですが、およそ150年の間城主が誰であったのかわかっていません。

この付近には摂関家の鹿田荘の中心部があったとされ、港町としても栄えていたようです。

1521年頃から1528年にかけて土着の国人領主である金光氏が本拠としており、金光氏は金川城主の松田氏に仕えていました。

1570年、当時の城主・金光宗高を謀殺し宇喜多直家がこの地を支配し、1573年直家はそれまでの居城であった亀山城から石山城へ入城、城の改築を行うと共に城下町を形成し、西国街道を付け替え、商人を呼び寄せるなど城下町の整備も行いました。

直家の後を継いだ秀家は豊臣政権下で57万4000石の大大名となり、相応の城にするため1590年から8年間にわたって大改修を行い、近世城郭の先駆けとなる城にしました。

1600年、関ヶ原の戦いでは西軍の主力となっていた秀家は西軍が敗戦した後、八丈島へ流刑となり、宇喜多家は改易となりました。

宇喜多氏に代わって岡山城には備前・美作52万石の領主として小早川秀秋が入城し、三之丸の外側に15町ほどの外堀を掘り城下町の拡大を行いました。

また、1601年には城内に沼城(亀山城)の天守を移築したと言われており、これは大納戸櫓と呼ばれていたそうです。

秀秋は1602年に後継者がいないまま死去し小早川家は断絶、代わって1603年備前は姫路城主・池田輝政の次男・忠継にあたえられましたが当時5歳だった忠継にかわり兄の利隆が政治を行いました。

1613年に忠継が岡山城へ入城しましたが1615年に死去、それ以降も岡山城は代々池田氏が城主を務めました。

1869年、最後の藩主・池田章政は岡山県知事になり、岡山城は存城となりましたが1873年の廃城令により、堀の埋め立てや建物の取り壊しが行われましたが、天守をはじめ、月見櫓、西之丸手櫓、石山門は残されました。

しかし、1945年に岡山空襲により天守・石山門は焼失、現在ある天守は1964年から1966年にわたって再建されたものです。
 
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岡山城の観光ポイント

この城の天守は織田信長の安土城の天守閣を模して築かれたと言われており、全国的にも非常に珍しい不等辺五角形の天守台に築かれています。

大坂城や広島城と並んで近世城郭の先駆けとなった城でもあります。

残念ながら天守は焼失してしまい、鉄筋コンクリートで再建されたものですが、黒い下見板張りの城は烏城という別名にふさわしく勇壮な姿を今に伝えています。

また、焼失を免れた建物としては国の重要文化財に指定されている月見櫓と西之丸手櫓、石垣、堀があります。
 

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