熊本城
熊本城の基本情報
名所 | 熊本城 別名:銀杏城 |
文化財史跡 区分 | 国の特別史跡 三名城 |
住所 | 〒860-0002 熊本県熊本市中央区本丸1-1 ☎096-352-5900 |
築城 | 1607年 |
築主 | 加藤清正 |
入場料 | 入場時間:8時30分~17時30分(3月~11月) ※8時30分~16時30分(12月~2月) 入場料:大人500円※中学生以下200円 |
スタンプ 設置場所 | ①城内(頬当御門・櫨方門・須戸口門・不開門) |
熊本城の歴史
茶臼山と呼ばれた丘陵地に築かれた平山城、江戸時代初期にかけて加藤清正が大規模な改修工事を行った城です。この地は中世に出田氏の千葉城が、その後は鹿子木氏の隈本城がありました。
そして、1591年に豊臣秀吉から肥後の北半国19万5000石を与えられた加藤清正が、安土桃山時代末期からこの地にあった城を取り込む形で現在の熊本城を築城しました。
加藤清正といえば藤堂高虎と並び築城の名手と謳われている人物で、この熊本城も日本三名城の一つに数えられています。
清正の築城スタイルとして特徴的なのは「石垣」と「籠城戦への備え」です。
熊本城の石垣は、清正が近江から連れてきた特殊な技術を持つ穴太衆によって築かれたもので「扇の勾配」と呼ばれる独特の形をしています。
これは地面に近い部分は、緩やかな勾配になっているのに対し、上に行くにしたがって勾配がきつくなっています。
武者返しともいわれ、この石垣は忍者でも登り切ることは困難だと言われています。
また、慶長の役の際に食料が底をついてしまうほどの厳しい籠城殿を生き抜いた経験を生かし、いざ籠城戦となった時に備え、城内には井戸水をくみ上げることができる井戸が数多く掘られている他、非常時に食料となるようレンコンや梅、銀杏などが植えられています。
熊本城は別名「銀杏城」とも呼ばれていますが、これは城内にある大銀杏に由来しているそうです。
この籠城戦対策は、他にも随所にちりばめられており、畳に芋茎が入れられており、壁には干瓢が塗りこまれていたそうです。
しかし、西南戦争の戦禍によって城内のほとんどの建物は焼失してしまいました。
現在、大小天守をはじめとして多くの櫓が復元されていますが、宇土櫓をはじめとして平櫓や五間櫓などの11棟や長塀、不開門などが現存しており国の重要文化財として指定されています。
熊本城の観光ポイント
平成28年の熊本地震によって石垣が崩れ、長塀が倒れるなど多くの被害がでました。現在(※2018年1月)も復興作業がすすめられているため、熊本城の全ての場所を見ることはできないかもしれませんが、熊本城には見どころは沢山あります。
中でも木造で復元された本丸御殿内は、古文書や発掘調査の出土品などをもとに熊本城が築城された当時の様子が再現されています。
華やかな御殿内には「昭君之間」と呼ばれる最も格式高い場所があり、ここは加藤清正が豊臣秀吉の子・秀頼を匿うために用意したとも言われています。
この部屋には鴬張りの廊下や隠し通路があったとも言われており、十分に可能性はありそうです。
内装は秀吉の好みに合わせたのでしょうか、想像力が掻き立てられます。
また、城内には多くの植物があり、四季折々の美しさを見せてくれますが、中でも紅葉の時期には銀杏城の由来ともなった大銀杏の葉が黄色く色づき、熊本城の黒い壁と空の青をさらに美しく見せてくれます。
現存している建物も多く、何時間いても飽きることがありません。