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人吉城

人吉城

人吉城の基本情報

名所人吉城
別名:球麻城・三日月城・繊月城
文化財史跡
区分
国の史跡
住所〒868-0051
熊本県人吉市麓町
☎0966-22-2324(人吉城歴史館)
築城1206年頃
築主相良長頼
入場料無料(見学自由)
スタンプ
設置場所
①人吉城歴史館(休館日は第2月曜日・他)


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人吉城の歴史

築城は鎌倉時代にまで遡り、源頼朝に仕えた遠江国の相良長頼が、1205年に肥後国人吉荘の地頭に任ぜられたところから始まります。

それまでこの地を治めていたのは、平主馬佑でしたが主馬佑は長頼に反抗したため、謀殺されてしまいました。

その後、長頼は主馬佑の城を拡張し、人吉城の基礎をつくります。

戦国時代に入り、球磨地方を統一した相良氏は、一時家督問題が起こるなどしましたが、その後も人吉城の城主をしてこの地を治めました。

北原氏や島津氏、名和氏、大友氏など近隣の戦国大名たちに脅かされながらも戦国時代を生き抜いていた相良氏ですが、1581年島津氏に降伏し臣従、1587年には豊臣秀吉の九州征伐にあい、奮闘むなしく降伏しました。

しかし、家臣の深水長智の交渉が功を奏し、再び領主として人吉城と領地を安堵されました。

1600年の関ヶ原の戦いでは、当初石田三成率いる西軍に属していましたが、本戦で石田方が敗戦すると東軍の徳川家康に与し戦功をあげ、家康から2万2000石を安堵されました。

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人吉城の観光ポイント

人吉城は、1802年の城内火災と1862年の城下町から出た火災によって城が全焼してしまい、当時の建物は残っていません。

幕末には建物が再建されていたそうですが、1877年の西南戦争の折に西郷軍の拠点となっていたため、戦禍に遭いこちらも全焼してしまったようです。

1961年に国の史跡として指定された後、隅櫓・大手門脇多聞櫓・続塀などが復元されました。

また、2005年に開館した人吉城歴史館には、石造り地下室の遺構が保存されています。

歴史館には、相良氏ゆかりの品や資料も数多く展示されており、見ごたえがありますが人吉城といえば石垣を是非ご覧ください。

この城の石垣は「はねだし石垣」と呼ばれる武者返しがついていることで有名です。

これはヨーロッパの築城技術だそうで、五稜郭と鶴岡城にも見ることができますが、中でも人吉城は規模が大きく、日本の城では珍しいものです。

 

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