島原城
島原城の基本情報
名所 | 島原城 別名:森岳城 |
文化財史跡 区分 | 市指定史跡 |
住所 | 〒855-0036 長崎県島原市城内1-1183-1 ☎0957-62-4766(島原城振興協会) |
築城 | 1624年頃 |
築主 | 松倉重政 |
入場料 | 入館時間:午前9時~午後5時30分※年末年始を除く 料金:大人540円※高校生以下270円 ※天守閣・観光復興記念館・西望記念館・三館共通入館料 |
スタンプ 設置場所 | ①島原城受付窓口 |
島原城の歴史
島原城は、独立式層塔型の四重五階の天守閣を持つ連郭式平城です。現在、築城当時の天守閣は残っておらず、復興天守が建てられていますがこちらは五重五階の独立式層塔型となっています。
築城は江戸時代ですが、安土桃山時代の築城様式が取り入れられており、大小の櫓が配置されていました。
しかし、明治時代に廃城が決まると天守以下城内の建物は破却されてしまい、当時のものは残っていません。
現在は西櫓、巽櫓、丑寅櫓が復元されており、巽櫓内は地元出身の彫刻家・北村西望の作品を展示する記念館として、また、丑寅櫓は民具史料館となっています。
江戸時代には島原藩の政庁であり、藩主の居城でもありましたがこの地は火山灰や溶岩流でできた地盤であり、築城は大変困難な土地であったようです。
そのため、島原城初代の松倉重政は、島原の領民に重い年貢を貸しました。
また、島原は元々キリシタン大名である有馬晴信が治めていた土地であったため、キリスト教の信仰も盛んでした。
しかし、有馬が転封となった後、松倉によるキリシタンの弾圧が開始され、さらに年貢を治められなかった領民や改宗を拒むキリシタンは拷問・処刑されました。
2代目の勝家も初代と同様に重い年貢を課し、過酷な取り立てを行いました。
このような圧制に耐えかねた領民たちは百姓として地域を指導していた旧有馬家の家臣たちの元に集まり、天草四郎時貞を総大将として一揆が勃発しました。
復興された天守内では、キリシタンや島原にまつわる多くの資料が展示されています。
島原城の観光ポイント
島原城は、長崎県の県指定史跡にも指定されている見事な城です。もちろん復興された白壁の天守が青空に映えそびえたつ姿はとても美しく、見る者を圧倒しますが是非見てほしいところはその石垣です。
先にも書いたようにこの地の地盤は火山灰や溶岩流によってできています。
しかし、緩く曲線を描きながら積み上げられた石垣は、建物が破却されてしまった後でも風雨に耐え、現在に当時の面影を伝えています。