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平戸城

平戸城

平戸城の基本情報

名所平戸城
別名:亀山城・日の岳城
文化財史跡
区分
住所〒859-5121
長崎県平戸市岩の上町1458
☎0950-22-2201(平戸城天守閣)
築城1599年
築主松浦鎮信
入場料一般510円
高校生300円
小中学生200円
スタンプ
設置場所
平戸城天守閣


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平戸城の歴史

平戸城は平戸瀬戸に突き出た丘陵の上に築城された梯郭式平山城で三方が海という自然の堀を有しています。

築城は安土桃山時代の末期で水軍が有名な松浦党の中でも下松浦党の棟梁である松浦鎮信によって築城されました。

鎮信は豊臣秀吉の九州平定に加わっていたため、九州平定後に秀吉から松浦郡と壱岐を所領として安堵されました。

秀吉が朝鮮へと兵を向けた文禄・慶長の役の後、1599年、秀吉の死後に築城が開始されました。

1600年の関ヶ原の戦いでは松浦氏は積極的に行動を起こすことはなく、東軍勝利後は元々豊臣氏と親交が厚かった松浦氏は徳川幕府から豊臣派ではないかとの嫌疑をかけられました。

その嫌疑を晴らすために1613年、完成間近の城に火を放ったと言われています。

平戸港の北側に居館を建て藩庁としましたが1702年に第4代当主の松浦重信が平戸城再建を幕府に願い出て翌年許可され、1704年になって第5代当主の松浦棟によって着工されました。

このように江戸時代中期になって築城許可が下りることは大変珍しく、重信の妻が藤井松平家の嫡流である松平忠国の娘であったことや東シナ海の警備に対して必要性が高かったためだと言われています。

縄張りは師である山鹿素行と共に全国を歩き集めた資料による山鹿流軍学に基づいて行われ、築城の指導は山鹿義昌が行いました。

1707年に完成した平戸城は天守を持たず、代用として二の丸の乾櫓が使用されました。

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平戸城の観光ポイント

1871年の廃藩置県後の廃城令により廃城となり、翌年狸櫓と搦手門を残して城の建物は解体されてしまったため、現在は残っていませんが公園として整備され、櫓や復興天守が建てられています。

また、石垣などの遺構を見ることができる他、樹齢400年以上とも言われる見事なイヌマキの並木通りがあります。

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