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新発田城

新発田城

新発田城の基本情報

名所新発田城
別名:菖蒲城・舟形城・狐尾鬼ノ城
文化財史跡
区分
国の史跡
住所〒957-0052
新潟県新発田市大手町6
☎0254-22-9534(新発田市文化教育委員会行政課)
築城1654年
築主溝口秀勝
入場料無料:4月~11月の期間
スタンプ
設置場所
新発田城表門
※12月~3月は新発田市役所本庁舎1階。土日祝は守衛室


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新発田城の歴史

城の北側には加治川が流れ、それを外堀として利用した平城で築城年は不明ですが、鎌倉時代頃に新発田氏によって築城されたと考えられています。

この城は代々新発田氏の居城でありましたが、1581年に新発田重家が越後の上杉景勝に対して反乱を起こし、それにより1587年新発田城は落城、新発田市も景勝によって滅亡させられました。

その後は上杉氏の会津転封に伴い溝口秀勝が1597年6万石所領を得て、この地に入封し、新発田藩を治める拠点として新発田氏の城であった新発田城を改修しました。

完成したのは3代目の宣直の時で本丸の位置には三階櫓がありました。新発田城には天守はありませんが三階櫓が実質的には店主の役割を果たしていました。

その屋根には特徴があり、丁の字型をした屋根に三匹の鯱が乗っていたそうです。

明治維新後の1873年に廃城となり、表門と二の丸隅櫓・石垣を残し城内の建物は破却され、陸軍の歩兵第16連隊がおかれました。

長年望まれていた城郭の復元に着手し、豊富に残されていた古い写真を基に2004年に三階櫓と辰巳櫓が復元されました。

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新発田城の観光ポイント

国の重要文化財に指定されている旧二の丸隅櫓と石落(城郭の壁や石垣の上部に設けられた開口部)を備えた櫓門(本丸表門)が現存しています。

また、石垣は石が隙間なくかみ合うようにきっちりと積まれた「切込はぎ」という積み方で積まれており、非常に美しい石垣です。

その他、耐水性、耐火性に優れた海鼠壁が櫓の外壁に使われており、雪国の城ならではの景観です。

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