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鉢形城

鉢形城

鉢形城の基本情報

名所鉢形城
文化財史跡
区分
国の史跡
住所〒369-1224
埼玉県大里郡寄居町鉢形2496-2
☎048-586-0315(鉢型城歴史館)
築城1476年
築主長尾景春
入場料無料(見学自由)
スタンプ
設置場所
鉢形城歴史館受付


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鉢形城の歴史

鉢形城は城の中心部が断崖絶壁の上にあり、荒川と深沢川にはさまれているという自然の要塞にあります。

この場所は信州や上州方面の交通の要であったため、関東管領の山内上杉氏の家臣・長尾景春によって築城されたとされています。

この景春は小田原北条氏の祖である北条早雲と並び関東の下克上の雄でもあります。それはこの地に景春が城を築いた経緯を知ればおのずとわかります。

景春は上杉憲実の家宰である長尾家に長尾景信の長男として誕生しました。

1473年父の景信が足利成氏との戦いの最中に陣没し、家督は弟の景春が継ぐことになりました。

これに腹を立てた景春は鉢形城を築城し、足利成氏方に味方し、自分を家宰とせず、弟の忠景を家宰とした山内上杉家の当主・上杉顕定に復讐を繰り返すようになりました。

1478年、扇谷上杉氏の太田道灌が鉢形城を攻め、以降は上杉顕定が入城しましたが10年後、扇谷上杉氏の上杉定正が鉢形城の上杉顕定を攻めるために挙兵し高見原の戦いが起こるとそれ以降、扇谷上杉氏と山内上杉氏の間で鉢形城を巡る戦いが起こります。

その中で、1546年に小田原北条氏の3代目・北条氏康が河越夜線に勝利し、武蔵国での地位を築きました。

1564年には氏康の4男・氏邦が鉢形城へ入城し、北条氏の関東拠点となりました。

しかし、先にも書いたようにこの場所は信州や上州方面への交通の要であり、甲斐の武田信玄や越後の上杉謙信など名だたる戦国武将からも狙われ続けました。

1590年、豊臣秀吉による小田原征伐が始まると鉢形城は前田利家・上杉景勝・真田昌幸・浅野長吉らの連合軍によって包囲され、北条氏の家臣・黒澤上野介らが籠城戦を行うも、1カ月後に開城、徳川家康が関東に入封した為、成瀬正一、日下部定好が周辺を統治しました。

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鉢形城の観光ポイント

鉢形城には建物は残っていませんが当時の難攻不落の城を思わせる場所が多くあります。

特に荒川と深沢川面した側は崖であるため、天然の要害として非常に優れていました。

しかし、寺町のあった西側は開けており、そのため、空堀や土塁、曲輪を幾重にも作り城の守りを固めていました。

公園として整備されており、石垣などの遺構を見ることができます。大河ドラマの真田丸の中でも小田原総攻撃に先立って攻撃を受けた忍城と並び鉢形城も攻撃を受けています。

鉢形城歴史館では再現された櫓門などが展示されている他、鉢形城の歴史をわかりやすく紹介しています。

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