川越城
川越城の基本情報
名所 | 川越城 別名:初雁城 |
文化財史跡 区分 | 県指定史跡 |
住所 | 〒350-0053 埼玉県川越市郭町2丁目13-1 ☎049-222-5399(川越市立博物館) |
築城 | 1457年 |
築主 | 太田道真・道灌 |
入場料 | 一般100円 学生・高校生50円 |
スタンプ 設置場所 | 川越城本丸御殿受付窓口 |
川越城の歴史
川越城は平山城で天守は作られませんでした。その代わりに城内で一番高いところに位置していた富士見櫓が天守の役割をはたしていました。この城は足利氏の勢力に対抗するための本拠地として扇谷上杉氏の家宰である太田道真・道灌父子によって築城されました。
太田道灌という名前は聞いたことがある人が多いかもしれませんが江戸城を築城したのもこの人です。
太田道灌は独特な築城方法でも知られており、道灌かがりという連郭式縄張りで城内に敵が入り込んでも防げるような構造になっていました。城内には三芳野神社が祀られた天神郭も作られました。
また、城の北側には川があり、南側には湿地帯があり、自然の外堀としての役割をはたしていました。
川越城を巡っては城主の扇谷上杉氏と小田原の北条氏の間で1524年から1544年まで4度にわたって争奪戦が起こりました。
1524年に北条氏綱が江戸城を収め、1537年に川越城を奪取、武蔵国の支配権を獲得します。
しかし、扇谷上杉氏も黙っていません。川越城を奪い返すべく足利氏や山内上杉氏と連合を組み、さらには今川義元や武田信玄と連携して駿河と武蔵の北条氏に対して同時に軍事行動を行いました。
城代を務めていた北条綱成は半年の長い間篭城しこれに耐え、川越城を囲む連合軍は後攻めの北条氏康に夜襲をかけられ扇谷上杉氏は滅亡しました。
1590年、豊臣秀吉による小田原征伐では城代を務めていた大道寺政繁が上野まで打って出るも前田利家に降伏し、前田の軍勢が川越城に入城しました。
徳川家康が関東に入封されると徳川家の譜代筆頭・坂井重忠が川越に入り、川越藩主となりました。
川越城の観光ポイント
川越城趾は1924年に県の指定史跡に指定されていますが城址のほとんどの部分が市街地になっています。しかし、川越城は本丸御殿の玄関と大広間が現存している大変珍しい城です。
川越本丸御殿には当時の調度品などが展示されており、中に入って見ることができます。風格漂う建物は一見の価値ありです。
また、川越城には七不思議があります。
築城にまつわるものから城を見えなくしてしまうという霧吹の井戸、姫の恨みが生み出した片葉の葦など難攻不落の城には不思議な出来事が多く起こっているようです。
この内の一つ、霧吹の井戸は市立博物館の前庭に移築されています。
川越城を訪れたら是非立ち寄ってほしいのが川越城下町です。小江戸川越と言われるように風情漂う街並みを散策するのがオススメです。
今は機械仕掛けですが時を刻み続けている時の鐘や一番街の蔵造りなど見どころ満載です。