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安土城

安土城

安土城の基本情報

名所安土城
文化財史跡
区分
国の特別史跡
住所〒521-1311
滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
☎0748-46-7215(安土町教育委員会文化体育振興課)
築城1576年
築主織田信長
入場料無料(見学自由)
スタンプ
設置場所
①安土城天主信長の館
②安土城郭資料館
③安土城跡受付









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安土城の歴史

安土城は琵琶湖の東岸に築城された山城で元々は明智光秀の配下・近江守護佐々木氏に仕えた目加田氏の居城があったところです。

1575年、11月4日信長は権大納言に任命され、同月7日には武家では武門の頭領のみに許される近衛大将に任命されて兼任することになります。

近衛大将は征夷大将軍に匹敵する官職で近衛大将に就任した信長は御所で公卿を集めて、足利将軍家の将軍就任式に倣った陣座という儀式を挙行しました。

これにより、信長は朝廷から天下人として事実上公認されたものとみなされています。

さらに同月28日東美濃の要であった岩村城を陥落させた嫡男の信忠を正室で美濃の斎藤道三の娘・濃姫の養子として織田家の家督と織田家の直轄領をゆずりました。

1576年、観音城の支城・目加田城があった場所を城主の目加田摂津守貞政に代わりの領地と現在の目加田城(滋賀県愛知郡)を与えることで提供させ、安土城の築城を開始しました。

築城の総奉行は丹羽長秀、縄張り奉行に羽柴秀吉があたり、地下1階地上6階建て天主の高さは32mという大型の天主を持つ安土城の築城が始まりました。

安土城は類をみないほどの絢爛豪華で独特な城であったと言われていますが1582年の本能寺の変の後、謎の焼失によって廃城となってしまい石垣を残すのみとなってしまいました。

この安土城は、当時信長が拠点としていた岐阜城よりも京都に近く、北陸街道から京へ向かう要の場所にあるため、一向一揆などを警戒するためでもあったと推測されています。

安土城は見た目もさることながら、それまでの城とは大きく違っており、総石垣で普請された城郭でこの時代以降多く見られる、石垣の上に天守が建つというスタイルでは初めての城だと言われています。

また、山頂の天主では信長が起居し、家族は本丸付近で家臣は城下や山腹にある屋敷で生活していたと言われています。
 
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安土城の観光ポイント

先にも書いたように絢爛な天守は焼失してしまっており残っていませんが天守台や石垣、堀などの遺構があります。

また、城山の中腹に位置する摠見寺の境内に当時の建築物である仁王門三重塔が残っています。

天守や本丸のあった場所には礎石が残り、当時の建物の大きさをうかがい知ることができます。

もっと安土城について知りたいという方は安土城趾から東海道本線をはさんで反対側にある安土城天主信長の館を訪れてみてはいかがでしょうか。

こちらには発見された天守指図から内藤昌氏の説に基づき、原寸大に復元された天守の5階6階部分が豪華な障壁画(復元)と共に展示されています。

安土駅前に隣接されている安土城郭資料館では20分の1スケールで再現された安土城の模型が展示されています。

安土城は中央に柱の土台となる礎石がなくこれは4層吹き抜けとなった城内に宝塔がおさめられていたためだと言われています。

その他、安土城は城内に堂塔伽藍を備えた摠見寺が建てられ、城へ入城する際には必ず境内を通るようになっていたようです。

このように日本の城郭建築の中でも数々の異例がある安土城は国の特別史跡として指定されていますが、現在発掘調査が行われているのは城郭全体のわずか20%だそうです。

完成からわずか3年で焼失してしまった信長の城に足を運んでみてはいかがでしょうか。
 

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