駿府城
駿府城の基本情報
名所 | 駿府城 |
住所 | 〒420-0853 静岡県静岡市葵区駿府城公園1-1 ☎054-251-0016(駿府公園二の丸施設管理事務所) |
築城 | 1585年 |
築主 | 徳川家康 |
文化財史跡 区分 | ― |
入場料 | 駿府城公園:無料(見学自由) 東御門・巽櫓 :一般200円子供50円 紅葉山庭園 :一般150円子供50円 坤櫓:一般100円子供50円 |
スタンプ 設置場所 | 東御門券売所 |
駿府城の歴史
元々は14世紀、室町幕府の駿河守護・今川氏の館があった場所に1582年から徳川家康がこの地に天守を含む築城を開始しました。今川氏は隣接する領地を治める小田原の後北条氏、甲斐の武田氏と同盟を結んで領国を支配していました。
しかし、甲斐を中心に武田氏が領地拡大を行い、武田氏は同盟を解消して駿河へと進行してくると今川氏は武田氏に敗れ、武田氏の駿河支配の拠点の一つとなりました。
しかし、1582年に織田・徳川の軍勢により武田氏が滅亡、武田の遺領は徳川家康の支配下に置かれました。
駿府城へ入城した家康は駿府城を築城し直しました。
家康は1549年ころ、今川氏が全盛期を迎えた9代目義元のもとへ12年間を人質として送られておりこの駿府で生活をしていました。
家康の築城は現在の二の丸あたりだったようで1590年豊臣秀吉による小田原征伐が行われて後は北条氏滅亡に伴い、徳川家康は関東に移封され、徳川の領地と隣り合った駿府には豊臣系の大名である中村一氏が入城しました。
関ヶ原の合戦により徳川家康率いる東軍が勝利を収めると1603年征夷大将軍に任ぜられた徳川家康は江戸に幕府を開きます。
それから300年あまり江戸幕府は繁栄を続け、当時まだ田舎であった江戸は政治経済の中心地へと変貌を遂げることになりました。
しかし、1605年には早々と家康は将軍職を辞し、徳川秀忠に将軍職を譲ると大御所政治の拠点として駿府城に戻りました。
こうして駿府に戻った家康は名目上息子・頼宣の駿府藩50万石に隠居し、駿府城を大幅に改修し、三重の堀を持つ輪郭式平城を築城しました。
1607年ようやく完成した城郭史上最大とうたわれる天守や本丸御殿が城内からの膝下によって焼失してしまい、急ぎ再建されました。
この場所から家康は大御所政治を行い、江戸に負けず劣らず駿府も発展を遂げました。
1616年家康は鷹狩に出かけた先で病に倒れ、それから約3ヶ月後に駿府城で亡くなりました。
駿府は家康が幼少時代を過ごした場所であり、また、太原雪斎などから様々な教えを受けた場所でもあります。
遺言で家康は駿府の南東にある久能山に葬ってほしいと言っており、家康にとってこの駿府城は特別な場所であったことがうかがえます。
駿府城の観光ポイント
現在、建物は残されていませんが旧二の丸・本丸は駿府城公園として整備されています。堀も一部は埋め立てられてしまい残っていませんが中堀は残されているため、当時の様子をうかがい知ることができます。
また、坤櫓や巽櫓・櫓門などが復元されています。内部が資料館となっています。