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加藤清正公銅像
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熊本城と一緒に観光したい周辺おすすめスポット

熊本市役所14階展望ロビーは熊本城を同じ目線

熊本城の絶景スポットの一つに「熊本市役所 14階展望ロビー」があります。

展望ロビーからの熊本城は下から見上げるのとは違って熊本城の大きさを良く感じることが出来ます。また、ロビーに入るのに料金がかからないのもポイントが高いですね。

写真に収めたいところですが、熊本城全体を一枚に撮り収めるのは素人には難しいそうなので、ぜひ同じ目線の熊本城をお楽しみください。

また、夜にはライトアップされ昼間とはまた雰囲気の違う熊本城が楽しめます。

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加藤神社は熊本城内にある

加藤神社の鳥居加藤神社は熊本城城内にある加藤清正公が祀られる神社です。セイショコさんと呼ばれ慕われています。

2018年4月16日の午後6時から午後9時まで「Love for Kumamoto―祈りのあかり―」が行われました。

これは熊本地震の発生後に鎮魂の祈りを捧げるために行われ、Candle JUNE(キャンドルジュン)さんの協力があって開催されました。

熊本城稲荷神社は多くの神様が祀られる

熊本城稲荷神社の鳥居熊本城稲荷神社の創建は1588年。加藤清正が肥後国へ入国する際に熊本城の守護神として熊本城東側の市街地近くに建てました。

本殿の背後に熊本城本丸の石垣があり、こちらには多くの神様が祀られています。

●白髭大明神(生活守護の神)・緋衣大明神(火伏・学業・芸能の神)
●玉姫大明神(良縁・縁結びの神)・通力大明神(金運・勝負の神)
●辰巳大明神(安産の神)・猿田彦大神(開運・交通安全の神)
●子安大明神(子育ての神)・白菊大明神(商売繁昌の神)
●貞広大明神(土木・建築の神)・源作大明神(五穀豊穣の神)

一度にたくさんの願い事を聞いてもらえそうでありがたいですね。社務所には最新のペッパーくんが色々と情報を教えてくれます。

また、こちらの「水みくじ」が有名で引いたくじを水に浸すと文字が浮かび上がります。

細川刑部邸は上級武家屋敷

細川刑部邸細川刑部邸は熊本城三の丸跡にある武家屋敷です。加藤清正の後に熊本藩主となった細川忠利の弟が建てたもので全国でも有数の上級武家屋敷として知られています。

平成5年に熊本城三の丸に移築復元され、熊本県の重要文化財指定されています。

現在は震災の影響で休館となり敷地内に入ることはできませんが、平成29年に10日間だけの期間限定で紅葉のライトアップが一般公開されました。

ここは紅葉狩りでも有名な場所で、武家屋敷の庭園も楽しめる貴重なスポットです。

再度、一般公開があるかもしれませんので情報をチェックしてみてください。

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加藤清正公銅像は熊本城の守護神

加藤清正公銅像熊本城を築城した加藤清正の銅像は、熊本城の入口にある御幸橋近くと廟のある本妙寺の2か所にあります。

どちらも甲冑に長い烏帽子をかぶり、御幸橋近くの銅像は座り姿、本妙寺の銅像は立ち上がっている姿です。

どちらも見ごたえがあり、座り姿の銅像は熊本城を背にしているため、まるで熊本城を守っているようにも見えます。

桜の馬場城彩苑は熊本を凝縮したスポット

桜の馬場・城彩苑熊本城の麓にある「桜の馬場 城彩苑」は2011年3月5日にオープン。熊本の歴史や文化を体験したり、九州名物を楽しめる場所です。

施設内は町娘や侍・忍者などの衣装に着替えて散策できる体験などがあり、大人だけでなく子供も一緒に楽しめます。

現在、熊本城は修復工事中ということもあるので、こちら楽しむのもおすすめです。

水前寺公園は細川忠利によって造られた

水前寺公園水前寺成趣園(水前寺公園)は肥後細川藩・初代藩主細川忠利が「水前寺御茶屋」を造ったのが始まりです。

池の水は地下から湧いていたのですが、熊本地震時には地盤が変わってしまい池の水が干上がるほど減少しました。

その後、全国からのボランティアにより、池の砂利を上げて清掃を行なったところ元の水量に戻ったそうです。

敷地内には出水神社があり、美しい庭園の中で神前式を挙げられ大変人気があります。

また、「古今伝授の間」では静かで美しい庭園を眺めながらお茶がいただけます。

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霊巌洞五百羅漢(雲巌禅寺)は宮本武蔵が参籠した場所

雲巌禅寺熊本県にある霊巌洞・五百羅漢(雲巌禅寺)は、晩年宮本武蔵が二天一流の極意書である「五輪書」を書いた場所と言われています。

この洞窟内には「岩戸観音」が格子で厳重に幾重にも囲まれて祀られています。

霊巖洞へ向かう時に五百羅漢が見られ、とても神秘的で1つ1つの座り方や表情など個性が感じられます。

熊本城内には枡形街道がある

桝形の街道熊本城には本丸と二の丸の間に薩摩街道が通り、あえて城の中に街道を造ったの理由はいくつか考えられています。

難攻不落の熊本城の造りをあえて見せることにより、「ここを攻め落とすのは難しい」と威圧するためとも言われています。

また、その街道の形が枡形になっている場所があり、ここにも敵からの防護が出来るよう考えて造られているのです。

熊本城城下町も含めて要塞の城である

熊本城の周りにある新町も敵からの攻撃を防ぐよう造られています。

熊本城の城下町地形は昔も今もそんなに形が変わらなく、現在もその名残を見ることは出来ます。

また、昔から歌われている熊本の民謡に有名な「あんたがたどこさ」があり、あの歌詞は当時の状況を歌われているものです。

「あんたがたどこさ、~熊本どこさ、せんばさ、せんば山にはタヌキがおってさ」で歌われている、「せんば山」は外堀を掘った土で土塁を築いた山にあたり、その土塁の高さは3~4メートルになり、周囲は竹藪の林でそこにタヌキが住んでいたというのです。

城だけでなく、その周りも敵の攻撃に対して厳重な態勢を整えている辺りは抜かりが無く、さすが全国でも指折りに入る難攻不落の城と言われるのが納得できます。

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