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七尾城

七尾城

七尾城の基本情報

名所七尾城
文化財史跡
区分
国の史跡
日本五大山岳城
住所〒926-0025
石川県七尾市古城町
☎0767-53-4215(七尾城史資料館)
築城1428年~1429年
築主畠山満慶
入場料無料(見学自由)
スタンプ
設置場所
七尾城史資料館
※12月11日~3月10日は七尾市教育委員会文化財課(七尾市役所内)


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七尾城の歴史

七尾湾が一望できる標高300mほどの尾根の上にある七尾城は枝分かれする尾根にも数多くの砦(とりで)を配置した大規模な山城です。

春日山城などと並び、日本五大山岳城の一つとして知られています。

この城が築城された当時は城というよりも砦の一つ程度の規模であったと考えられます。

それが徐々に増築されるなどして5代目の慶政の頃にはそれまで府中にあった守護所が七尾城に移され、領国支配の中心となっていきました。

その後、9代目畠山義綱の頃には能登で戦乱が相次ぎ七尾城の規模も最大になったと言われています。

山裾には一里余りの城下町が広がり、山頂に城がそびえたつ様は「天宮」と称されました。

1576年には上杉謙信によって包囲されましたが猛者の集う上杉軍を前に1年以上持ちこたえ、その堅牢さをみせつけました。

しかし、当時擁立されていた年若い当主畠山春王丸は重臣たちの対立を治めることができず、七尾城は孤立、遊佐続光によって対立していた長氏一族が殺害され、七尾城は開城しました。

七尾城は越中と能登を繋ぐ要所であり織田氏の管轄となり、城代として前田利家が入城しました。

しかし、拠点が小丸山城に移されると1589年に廃城となりました。

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七尾城の観光ポイント

現在、建物は残っていませんが本丸をはじめとして石垣が数多く残っています。

この石垣は各曲輪の石垣のほとんどが現存しているため、本丸を中心として二の丸や三の丸が配されていた当時の様子がよくわかります。

山城を知るための重要な遺跡として国の史跡にも指定されています。

また、野面積という積み方で積まれた石垣はよく目にする美しい石垣とは印象がことなり、荒々しく力強い印象を受けます。

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