金沢城
金沢城の基本情報
名所 | 金沢城 |
文化財史跡 区分 | 国の史跡 |
住所 | 〒920-0937 石川県金沢市丸の内1-1 ☎076-234-3800(金沢城兼六園公園管理事務所) |
築城 | 1580年 |
築主 | 佐久間盛政 |
入場料 | ・無料(見学自由) ・菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓:一般310円小人100円 |
スタンプ 設置場所 | ①二の丸案内所 ②石川門入口案内所 |
金沢城の歴史
犀川と浅野川に挟まれた台地の先端に築城された平城で元々この地は有名な加賀の一向一揆の拠点で浄土真宗の寺院「尾山御坊」があったところです。一向一揆とは一向宗(浄土真宗本願寺教団)の信徒たちが権力に対して起こした抵抗運動のことですが一向宗は加賀の守護であった富樫政親を滅ぼし、その勢力を世に知らしめました。
また、一向宗は朝倉氏に奪われた越前吉崎御坊を取り返すために何十回も大規模な戦を起すこともありました。(九頭竜川の戦い)
一向宗による一揆は各地へと拡大していき、その勢いに政権基盤を脅かされることを恐れた各地の武将とも度々衝突する様になりました。
しかし、1580年に本願寺教団の本山である石山本願寺(当時は大坂本願寺)が織田信長との抗争の末敗れると本願寺内でも分裂騒動が起こり、一向一揆も衰退していきました。
尾山御坊も1572年、杉浦玄任を総大将とした一揆勢が上杉軍と数カ月にも及ぶ衝突を繰り広げ、上杉軍を破ることもありました。
しかし、上杉謙信率いる本隊が到着すると一揆の勢いは衰え始め、尻垂坂の戦いで上杉軍に大敗を喫しました。
1580年には尾山御坊が陥落し、織田家の家臣であった佐久間盛政が金沢城を築城しました。
佐久間は上杉謙信が南下してきた際に信長の命で加賀に派遣され、現在の石川県小松市に砦を作り在番したこともあり、金沢城初代城主となってからは加賀半国の支配権も与えられました。
しかし、1583年の羽柴秀吉と佐久間の伯父・柴田勝家の間に起こった賤ヶ岳の戦いで佐久間は秀吉に討たれ、金沢城には前田利家が入城しました。
利家は金沢城の改修工事を行い曲輪や堀の拡張、5重の天守の建設などを行いました。
日本三大名園の一つ・兼六園は加賀藩の5代目藩主前田綱紀が金沢城に付属して造らせた大名庭園です。
明治以降は軍の施設が置かれたため建物は一部を残してほとんどが撤去されてしまいました。
金沢城の観光ポイント
重要文化財に指定されている三十間長屋(鉄砲蔵)や同じく重要文化財の鶴丸倉庫(武具蔵)の他復元された橋詰門一の門や石川門一の門などがある他、菱櫓も復元されています。さらに河北門や橋詰門二の門、玉泉院丸庭園も復元され見どころが満載です。
また、前田利家が入城して後、築城の名手・高山右近が築城の指導をしています。
西丁口から尾坂口へと大手が変更されているのは高山右近によるものだそうです。
金沢城を訪れた際には是非とも訪れたいのが兼六園です。
広大な敷地に大名庭園で加賀百万石の四季折々、美しい景色を堪能することができます。