久保田城
久保田城の基本情報
名所 | 久保田城 別名:矢留城・葛根城 |
文化財史跡 区分 | 秋田市文化財(御物頭御番所) |
住所 | 〒010-0876 秋田県秋田市千秋公園1 ☎018-832-7892(秋田市立佐竹資料館) |
築城 | 1604年(慶長9年) |
築主 | 佐竹義宣 |
入場料 | 100円※高校生以下無料 |
スタンプ 設置場所 | ①久保田城御隅櫓 ②秋田市立佐竹史料館 |
久保田城の歴史
久保田城は常陸国54万石から移封され出羽国の初代藩主になった佐竹義宣が築城しました。佐竹氏は伊達氏と対立する傍ら、豊臣秀吉と通じており石田三成や上杉景勝とも親交がありました。
1590年に秀吉の小田原討伐に参陣し、秀吉に謁見、臣下としての礼をとると映画「のぼうの城」でもおなじみの忍城水攻めで堤防構築に従事しました。
その後、伊達氏と争っていた南奥羽を秀吉から知行として認められ、佐竹氏は徳川氏や前田氏、上杉氏と並んで豊臣政権の六大将と呼ばれるようになりました。
江戸時代には久保田藩として徳川家康が推進していた主要道の整備を行い、城下町も整えられました。
幕末の戊辰戦争の際には新政府軍を支持し、庄内藩や盛岡藩などの旧幕府軍から攻撃を受けました。
領地内の多くの場所が戦場となりましたが危ういところで仙台・米沢の両藩が降伏したため、攻撃していた庄内藩が撤退し、久保田城は無事でした。
明治13年、城内のほとんどの建物が焼失するほどの大火に遭い、明治19年城の裏門は寺町鱗勝院の山門として払い下げられ、久保田城址は明治23年に陸軍省から佐竹氏に払い下げられ、本丸と二の丸のあった場所を秋田市が借り受けることで公園として整備されました。
久保田城の観光ポイント
久保田城内に8つあった御隅櫓の内の一つ、本丸北西の御隅櫓が100周年を記念して復元されました。内部は佐竹氏と歴史を知ることができるパネル展示が行われている他、最上階には展望室も設置されています。
また、市の文化財にも指定されている御物頭御番所(おものがしらごばんしょ)は二の門の管理と城下町の警備、火災の消火活動などを担当していた足軽の組頭(物頭)の詰所として使われていた建物で藩政時代のものであり、1988年の保存修理を経て今もその姿を見ることができます。
久保田城には「これぞ、日本の城」と思わせるようなダイナミックな石垣こそありませんが、城下町を繁栄させ、戦にも耐えうるだけの創意工夫がなされています。
御隅櫓、御物頭御番所は冬期休館していますが春には見事な桜と共に歴史を感じることができます。