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丸岡城

丸岡城

丸岡城の基本情報

名所丸岡城
別名:霞ヶ城
文化財史跡
区分
重要文化財1件
現存天守(現存最古)
住所〒910-0231
福井県坂井市丸岡町霞町1-59
☎0776-66-0303(霞ヶ城公園管理事務所)
築城1576年
築主柴田勝豊
入場料一般300円小中学生150円
霞ヶ城公園内:無料(見学自由)
スタンプ
設置場所
霞ヶ城公園管理事務所


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丸岡城の歴史

丸岡城は織田信長の家臣・柴田勝家の甥である柴田勝豊によって築城された平山城です。

当時、柴田氏は越前のほとんどを領有しており、築城主である勝豊は現在の坂井市丸岡町豊原にあった豊原寺城から丸岡城へと移りました。

1582年本能寺の変が起こり、その後の清須会議で勝豊は近江国長浜城へと移動になり、丸岡城は安井家清が城代を務めました。

しかし、翌年の1583年、柴田勝家が豊臣秀吉によって滅ぼされると柴田氏は領していた土地は丹羽長秀が治めることになり、丸岡城へは長秀の家臣・青山宗勝が入城しました。

青山氏は関ヶ原の合戦で徳川率いる東軍ではなく西軍側に属していたため、合戦後に改易され、丸岡城は家康の次男・結城秀康の家臣である今村盛次が入城しました。

その後、越前騒動に連座し今村が失脚すると福井藩から本多成重が丸岡城主となりました。

この頃福井藩を治めていたのは2代目藩主の松平忠直でしたが1624年に豊後配流となったことを機に福井藩から独立し、本多成重を初代藩主とした丸岡藩が誕生しました。

4代目当主・本多重益の時に丸岡藩はお家騒動で改易となり、本多氏に代わって有馬氏が治めることとなりました。

1871年に廃城となり天守を残して建物などは解体されてしまいましたが丸岡城の天守は今でも残っており、現存天守の中でも最古のものとして築城当時を今に伝えています。

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丸岡城の観光ポイント

現在、丸岡城は霞ヶ城公園として整備されており、春・桜が満開になるころには霞ヶ城という別名にふさわしく幻想的な雰囲気に包まれます。

天守の下に積まれている石垣も「野面積み」という古い時代の積み方で、ほとんど加工がなされていない石を積み上げたものです。

切込み接のような統一された美しさはないものの、大小様々な大きさの石をうまく組み合わせて組んであります。

この石垣も古い城ならではのものだと思いますので重要文化財にも指定されている天守と共に楽しんでください。

また、公園内には歴代当主の残した貴重な品を展示した歴史民俗資料館もあります。

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