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二本松城

二本松城

二本松城の基本情報

名所二本松城
別名:霞ヶ城・霧ヶ城・白旗城
文化財史跡
区分
国の指定史跡
住所〒964-0904
福島県二本松市郭内3丁目
☎0243-23-1111(二本松市役所観光課)
築城1414年(応永21年)
築主二本松満泰(畠山満泰)
入場料無料:霞ヶ城公園
スタンプ
設置場所
①JR二本松駅内観光案内所
②二本松市歴史資料館受付


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二本松城の歴史

室町時代に幕府から奥州探題に任ぜられた畠山高国がこの場所に居を構え、地名を二本松に改めました。

長年この地に定着していた二本松氏の城は東北地方には珍しく、中世から近世まで変わらずこの地にあり続けています。

二本松城が築城されたのは7代目当主の二本松満泰の時で、この城は戦国時代に入ると伊達政宗から攻撃を受けています。

佐竹氏や相馬氏の援軍を受け、一度は政宗の軍を退けましたが再度政宗が進軍した折には内通者が現れ、相馬義胤の口添えで二本松城は開城しました。

開城後の二本松城は伊達の家臣・片倉景綱、伊達成実が二本松城の城代となりました。

1591年に葛西大崎一揆が起こりそれを鎮圧。伊達政宗は米沢から葛西・大崎の旧領地に移封されることになり、それ以降二本松城は会津若松に本拠を構える蒲生氏の支城となりました。

その後上杉氏・加藤氏と城主はかわり1643年白河小峰城から丹羽長秀の孫・光重が入城し、二本松藩の藩庁として大規模な改修が行われ、本丸に石垣が積まれ、天守も建築されました。

戊辰戦争の際は奥羽越列藩同盟に参加し、新政府軍と交戦しましたが手薄になっている時を疲れて、わずか1日で落城し城の建物の多くが焼失しました。

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二本松城の観光ポイント

現在、二本松城跡は霞ヶ城公園として整備されています。

二本松城は2007年に国の史跡に指定されており、公園は桜の名所としても知られています。

復元された箕輪門や藩政改革と綱紀粛正(国家の規律や秩序、政治の在り方や役人などの態度をただすこと)の指針が刻まれた大きな自然岩・戒石銘碑があります。

樹齢350年を超える立派な赤松や苔むした石垣に歴史の重みを感じます。

また、戊辰戦争の際に故郷を守るため散っていった二本松少年隊の像もあり見どころが沢山あります。

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