仙台城
仙台城の基本情報
名所 | 仙台城 別名:青葉城 |
文化財史跡 区分 | 国の指定史跡 |
住所 | 〒980-0862 宮城県仙台市青葉区川内1 ☎022-214-8544(仙台市教育局文化財課) |
築城 | 1601年 |
築主 | 伊達政宗 |
入場料 | 無料(見学自由) |
スタンプ 設置場所 | 仙台城見聞館 |
仙台城の歴史
独眼竜政宗として広く知られている伊達政宗が築いた城です。1600年、関ヶ原の戦いの後に徳川家康の許しを得て仙台の地に城を持つことになった政宗は青葉山に縄張りを開始し、仙台城は築城されました。
この城は本丸と西の丸を中心とした山城で、二の丸と三の丸は山裾に位置しています。
また、天守台はあるものの天守閣は元々作られていなかったようです。
関ヶ原の合戦の後に徳川幕府が成立し、合戦の世は終わったように感じますが徳川氏と上杉氏との対立は続いていました。
そのため、上杉氏からの攻撃に備えて砦となるような城が必要でした。
政宗は守りやすく攻め込みにくいこの場所に城を築いたのでしょう。
その後、合戦のない世がやってくると城下と山の上にある本丸の行き来が不便であったため、1637年に二の丸が山裾に建造され、以降はこの二の丸で政務を行い、伊達家の当主は居館としました。
仙台城は幾度となく火災や地震のために一部再建を繰り返しながら幕末の戊辰戦争を向かえます。
戊辰戦争では仙台で戦いが起こることはなく、仙台城は一度も攻め込まれることがないまま砦としての役目を終えました。
明治4年に東北鎮台が仙台城を本営として駐屯し、本丸は兵舎建築の石材と木材確保のために取り壊されてしまいました。
明治15年には大手門や虎ノ門、脇櫓を除くほとんどの建物が焼失する火災が起き、その後も第二次世界大戦などの戦禍に遭い当時の建物は現存していないようです。
仙台城の観光ポイント
平成15年に国の史跡として指定をうけた仙台城址では石垣や三の丸の濠であった五色沼や長沼などの他、大手門や巽門の後を見ることができます。本丸跡にある本丸会館内には青葉城資料展示館もあり、CGシアターでは築城当時の仙台城を再現した映像を見ることができます。
三の丸跡から本丸方面へと続く巽門跡、清水門跡、沢門跡は急こう配の登城路が続きます。
この道は曲がりくねっており、攻めてきた相手を側面から攻撃することが出来るように考えられていたようです。
その坂を登った先には有名な伊達政宗騎馬像があり、近くには大広間の遺構が残されています。
当時の仙台城を感じることができる貴重な資料となっており、近くの仙台城見聞館には大広間の復元模型が展示されていますので、当時の外観を想像しながら遺構を歩いてみるのはいかがでしょうか。
残念ながら仙台城址から見ることはできませんが、広瀬川をまたいだ先には政宗公が眠る霊廟・瑞鳳殿があります。