小諸城
小諸城の基本情報
名所 | 小諸城 別名:酔月城・白鶴城 |
文化財史跡 区分 | 重要文化財(大手門・三の門) |
住所 | 〒384-0804 長野県小諸市丁311 ☎0267-22-0296(小諸市懐古園事務所) |
築城 | 1554年 |
築主 | 武田信玄 |
入場料 | 一般500円 小中学生200円 |
スタンプ 設置場所 | 懐古園事務所 |
小諸城の歴史
この場所には元々1487年に大井光忠が築城した城があったと考えられています。その後、戦国時代になり、甲斐の武田信玄が現在の縄張りとしました。
さらに時代が進むと石垣が作られ、仙石秀久によって改修され三重天守も建てられました。
小諸城は別名「穴城」とも呼ばれますが、それは城郭が城下町よりも低い位置にあり、城内を見渡すことができたためだそうです。
武田信玄が東信州を経営するための城として使われていたようですが、武田氏滅亡後は織田家の家臣・滝川一益の領地となり、城代は一益の甥である道家正栄が務めました。
本能寺の変で織田信長が死去すると相模の後北条氏が上野国へ侵攻し、一益は神流川の戦いで敗退、これを機に一益は佐久の依田信蕃、木曽の木曽義昌と面会・交渉し、小諸城は依田が入城することになりました。
後に徳川氏に引き渡されますが豊臣秀吉の小田原征伐での功労が認められ仙石秀久が入城しました。
秀久は関ヶ原の戦いでは東軍に属し、1622年2代目の忠政が上田城へ転封となるまで仙石氏の居城となりました。
小諸城の観光ポイント
三重天守は1626年に落雷により焼失してしまい残っていませんが石垣や懐古園の入り口となっている三の門、また市街地には大手門があります。その他、足柄門は市内の光岳寺山門として、黒門は市内の正眼院の山門として移築されています。
本丸御殿の書院と言われているものも現存しているそうですが、こちらは東御市の民家に移築されているそうなので見学することができるのか不明です。
小諸城址は懐古園として整備されており、藤村記念館や懐古神社がある他、動物園や児童遊園地もあり、小さな子供を連れていても大人も子供も楽しめる憩いの場となっています。