大阪城


大阪城の基本情報

名所大坂城
別名:錦城・金城
文化財史跡
区分
国の特別史跡
三名城
住所〒540-0002
大阪府大阪市中央区大阪城1-1
☎06-6941-3044(大阪城天守閣)
築城1583年
築主豊臣秀吉
入場料一般600円
※中学生以下は無料
スタンプ
設置場所
天守閣1階インフォメーション

style="display:block; text-align:center;"
data-ad-layout="in-article"
data-ad-format="fluid"
data-ad-client="ca-pub-5820714376154723"
data-ad-slot="3594808191">

大阪城の歴史

大阪城というと豊臣秀吉の城というイメージが強いのですが現在秀吉の大阪城の遺構は埋もれてしまっているために見ることができません。

現在残っている遺構は江戸時代に徳川氏が修築というよりも新築した大阪城のものです。

この場所は戦国時代、石山本願寺があった場所で織田信長との石山合戦において難攻不落で織田信長をもってしても武力による開城には至りませんでした。

寺院に対して難攻不落というのもおかしな表現ですが当時の石山本願寺は別名大阪城とも呼ばれており、寺院でありながらも堀と土塁に囲まれて要害の地にあり、まさに城郭のようであったそうです。

この石山本願寺が謎の焼失を遂げたあと、その跡地に豊臣秀吉が大阪城を築城し、城下町を作りました。

豊臣秀吉の居城となり政権の中心でしたが大阪夏の陣で豊臣氏が滅亡すると供に焼失、徳川氏は焼失した豊臣大阪城の跡地にさらに盛り土をして再度縄張りし、西日本支配の拠点としました。

大阪城の城主は徳川幕府の歴代将軍が務め、譜代大名が城代につきました。

大阪城は度々落雷などによって火災がおこり、損傷個所を治していましたが1665年落雷によって天守を焼失し、それ以降は天守を持たなかったそうです。

幕末には王政復古の大号令によって二条城を追われた徳川慶喜が大阪城に居住していましたが、1868年の鳥羽伏見の戦いで敗北し、慶喜は江戸へ退却、幕末の動乱の中で大坂城の櫓や御殿などの建造物のほとんどが焼失してしまいました。
 
スポンサーリンク


大阪城の観光ポイント

現在は特別史跡として指定されている他、大阪城公園としても整備されており、有名アーティストが度々ライブを行う大阪城ホールもあります。

三大名城や三名城の一つとして名前が上がることもあります。

城址としては大手門や多聞櫓、乾櫓などの江戸時代の遺構が残っており国の重要文化財に指定されています。

復興天守のある天守台は徳川時代のもので石垣の多くは江戸時代の遺構です。発掘調査により豊臣時代の石垣も発見されていますが、公開はされておらず見ることはできません。
 

スポンサーリンク

関連記事