高知城を10倍楽しむ観光ポイント
高知城は天守閣と追手門が現存
全国で天守閣と追手門が現在も形を変えずに共に残っているのは3か所あり、その貴重な建物の一つが高知城です。多くの観光客が写真を撮るかと思いますが、天守閣と追手門がフィルター1枚に納まるのは高知城だけと言われています。
高知城天守閣は中に入って見られます。
敵からの攻撃に対して敵を欺くための「だまし門」があったり、敵が直ぐに上がれないように「歩幅を違えた石段」にしてあったりその他様々な防御策がされています。
これらを見ながら敵の気分で城を攻めてみる想像をしたりするのもかなり楽しめるのかと思います。
功名が辻を読むと高知城がもっと楽しくなる
高知城は「功名が辻」の舞台にもなった場所です。高知城を訪れる前に司馬遼太郎さんの「功名が辻」を読み、頭に知識を入れてから高知城を訪れるのがおすすめです。
築城した山内一豊とその妻千代の気持と合わせながら高知城の内部を見て行くと、普通の観光とはかなり違って来て楽しめることでしょう。
高知城は築城当時のままの姿で天守が現存
建築当初のままの姿で今も存在している高知城。天守の建築様式は望楼型天守です。天守にはぐるりと部屋一周を囲む廊下があり、どこからでも高知市内を見渡せ、大変見晴らしがいい造りになっています。
但し、天守まで行くには注意がいくつかあります。
天守までの階段ですが、造りが急なために階段を登る際は大きな荷物があると登りにくく安全ではありません。
また、小さなお子さんを連れて階段を登るのも危険なので事前に確認することをお勧めします。
懐徳館は建築当初のまま現存する本丸御殿
高知城天守の手前にある建物が本丸御殿になり、懐徳館とも呼ばれ貴重な本丸御殿も重要文化財に指定されいます。この本丸御殿が建築当初のまま現存するのは、川越と高知のみで日本では2か所しかありません。
中の造りは4つの部屋に寝室、収納部屋やトイレなどの書院造りです。現在は、山内家にゆかりのある品や歴史資料が展示されています。
煌びやかな物はありませんが、当時はこのような暮らしをしていたのかと自分の目で見て実感出来る貴重な場所だと言えます。
高知城ライトアップはジブリが選んだスポット
高知城は夕方になり辺りが暗くなるとライトアップがおこなわれます。夜間も二の丸まで入ることが出来るので近くで見られ、お気に入りのライトアップシーンを見つけてみましょう。
また、じつはこの高知城あの有名なジブリ映画の「海がきこえる」にも使われ、そのシーンは追手門から見た天守ライトアップされます。
あのジブリが選んだスポットなだけに、ひときわ美しい景色が堪能できます。
高知城藩主座敷内の武者隠し
高知城の天守閣の隣に位置する、本丸正殿の中には一段と高くした「藩主座敷」と呼ばれる部屋があります。この部屋向かって右手は藩の重要書類が保管された納戸蔵あり、反対の左手は「武者隠し」と呼ばれる納戸となり、ここには常に護衛の武士が隠れていたそうです。
広さは四畳ほどあり、長時間隠れていても狭いことは無いようです。
高知城では板垣退助銅像に会える
高知城の追手門から天守閣へ登る途中に板垣退助の銅像があります。板垣退助と言えば、自由民権運動で知られ、昔のお札にも描かれた人です。
こちらの銅像を見て初めて板垣退助が高知県出身だと知る方も多いようです。
ちなみに現在の銅像は2代目となり、初代は戦争で一度金属回収されてしまい無くなってしまいその後2代目が建てられました。
山内一豊の騎馬武者像は最大級の大きさ
高知城の敷地内にある高知県立図書館前に土佐藩の初代藩主山内一豊の騎馬銅像があります。この銅像は最初からここ高知城内にあったものではなく、最初に建てられた大正元年時は高知藤並神社境内にありました。
銅像作家の本山白雲の代表作でしたが戦争で昭和19年に一度回収されています。
その後、平成8年に復元されて場所を現在の高知城内に移動されました。
こちらの銅像、騎馬武者像としては最大級と言われており、見上げると大変立派でとても迫力があります。
高知城へ行った際には是非立ち寄ってみてください。
高知城黒鉄門はかなり重厚な造り
高知城本丸御殿西の搦め手(裏側)の防備を固めた門を黒鉄門と言います。こちらはかなり重厚な造りで、二間一口櫓門柱や扉には小鉄板が打ちつけられ、全てが黒く塗られている所からこの名が付いたそうです。
この門は藩主が儀式の際や何か緊急の際に出入りするための門でした。
入母屋造り2階建てで上の窓からは敵を攻撃することも可能。一度、享保の大火で消失しましたが3年後に再建されています。
門のあちこちに当時考えつくされた防御と攻撃の機能が随所に見られ、是非見て頂きたい場所の一つです。
高知城詰門は計算されて造られた
高知城には本丸と二の丸をつなぐ櫓門があります。これを詰門と呼ばれ、1階の門の部分は東側=鉄門側は右寄り、西側=梅の段側は中央に、筋違いに開けるようになっており、あえて複雑な構造に造られています。
なぜこのような造りなのかというと、これは防衛のためで敵に攻められた時に簡単には通り抜けられないようにしているのです。
2階部分は二の丸から本丸に渡ることが出来るよう廊下橋となり、とても考えられた造りです。
詰門を天守閣入り口から見上げると本丸と二の丸2つの小山をこの詰門が繋いでいるのが見えます。
建物だけでなく、土地も利用して造られているのは大変興味深いかと思われます。