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大洲城

大洲城

大洲城の基本情報

名所大洲城
別名:大津城・地蔵ヶ嶽城
文化財史跡
区分
県指定史跡
住所〒795-0012
愛媛県大洲市大洲903
☎0893-24-1146(大洲城管理事務所)
築城1331年
築主宇都宮豊房
入場料一般500円
小人200円(中学生以下)
スタンプ
設置場所
台所櫓入口(大洲城内入口)









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大洲城の歴史

大洲城は鎌倉時代末期にこの地へ守護として赴任した宇都宮豊房が築城したと言われています。

豊房には子供がいなかったため、筑後宇都宮氏の宇都宮宗泰を養子とし、永禄年間に毛利氏が伊予へ進出してくるまで南伊予を支配しました。

毛利氏が伊予へと出兵してくると降伏し、1568年大洲城は河野氏の武将・大野直昌が預かることになりました。

しかし、1585年秀吉が四国を平定すると小早川隆景が伊予へ入封し、居城を湯築城とすると大洲城は支城の一つとなりました。

その後、戸田勝隆が城主として入城しましたが1594年に勝隆は朝鮮で病死してしまいました。

1595年代わって藤堂高虎が宇和郡板島7万石で大洲城に入城し、同時に宇和・喜多・浮穴の各郡・併せて約6万6000石の蔵入り代官を命じられた高虎は大洲城を居城としました。

この頃に大洲城は近世城郭として整備されたと考えられています。

1600年の関ヶ原の戦いの恩賞を受けた高虎は今張国分山城を追増され領地は20万石となりました。高虎は自身の居城として今治城の普請を開始しました。

1609年、前年に伊賀上野藩主・筒井定次が改易となり、伊勢津藩主・富田信高が伊予宇和島藩へ転封となったのを受けて高虎は津藩主となりました。

代わって淡路の洲本から脇坂安治が大洲城へ入城しました。

この頃に地名が大津から大洲に改められたと言われており、それまで大洲城は「大津城」と呼ばれていたようですが、ここでは大洲城で統一してあります。

その後、1617年に加藤貞泰が6万石で入城し以降版籍奉還になるまで加藤氏が城主を務めました。

明治維新後、城内のほとんどの建物が破却されてしまいましたが本丸の天守と櫓など一部は地元住民の活動により保存されました。

しかし、天守は老朽化が進み1888年に解体されました。
 
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大洲城の観光ポイント

県指定史跡としても指定されている大洲城は台所櫓・高欄櫓・苧綿(おわた)櫓・三の丸南隅櫓の4棟が国の重要文化財になっています。

復元されている天守も伝統工法を用いて復元されたもので明治時代の古写真や江戸時代の天守雛型などの資料を基に解体前の姿を正確に復元されています。

そのため、復元されたものでありながら当時の内部の様子を知ることができる貴重な天守となっています。

その他、本丸井戸や暗り門跡、櫓下御門跡、内堀跡などの遺構を見ることができます。
 

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