津和野城
津和野城の基本情報
名所 | 津和野城 別名:三本松城・蕗城 |
文化財史跡 区分 | 国の史跡 |
住所 | 〒699-5605 島根県鹿足郡津和野町後田 ☎0856-72-1854(津和野町教育委員会) |
築城 | 1295年 |
築主 | 吉見頼行 |
入場料 | 津和野城跡観光リフト:往復450円9時~16時30分 |
スタンプ 設置場所 | リフト茶屋 |
津和野城の歴史
鎌倉時代の1282年、西石見地方の地頭として赴任してきた吉見頼行が標高367mの霊亀山の南側から築城を開始し、城は山頂へ向かって拡大し続け、頼行の子・頼直の代になった1324年に完成しました。頼行から14代の居城となりました。
戦国時代には吉見氏は大内氏に属していましたが1554年吉見氏の11代当主正頼は大寧寺の変で大内義隆を滅ぼした陶晴賢に対して挙兵、100日以上に及ぶ籠城戦となりました。
その後の厳島の戦いに勝利した毛利氏の参加に入った吉見氏は引き続き津和野城を居城とし、1600年の関ヶ原の戦いでは毛利輝元を総大将とする西軍が敗戦し、吉見氏も津和野を撤退し萩に移住しました。
撤退した吉見氏に代わって津和野城には坂崎直盛が3万石で入城し、石垣を多用した近世城郭へと大改修しました。
この時に出丸や天守も築かれましたが1616年に起きた千姫事件で直盛は自害し1686年、津和野城は落雷に遭い、天守が焼失、以降再建されることはありませんでした。
1871年、廃藩置県により廃城となります。津和野城は商人の三上喜左衛門に祓い下げられ、1874年に城は解体されました。
津和野城の観光ポイント
現在、建物は麓にある津和野藩邸の馬場先櫓と物見櫓が現存していますが基本的には建物は残っていません。しかし、天守の跡や南門櫓や西門櫓の石垣が残り、堀切や西側には三の丸の跡が残っています。
山に築城された城ですが観光リフトがあり、リフトを降りてから徒歩20分ほどで本丸跡に到着することができます。