松江城


松江城の基本情報

名所松江城
別名:千鳥城
文化財史跡
区分
国宝
国の史跡
現存天守
三大湖城
住所〒690-0887
島根県松江市殿町1-5
☎0852-21-4030(松江城山公園管理事務所)
築城1611年
築主堀尾忠氏
入場料一般560円
小中学生280円
スタンプ
設置場所
松江城天守内受付窓口

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松江城の歴史

松江城は現存天守があり、天守は国宝に指定されています。

松江城は軍学者の小瀬甫庵などが設計に携わり、京橋川を城の外堀とする輪郭式連郭複合式平山城です。

宍道湖の北側湖畔にある亀田山に築城されている日本三大湖城の一つです。

松江藩・初代藩主となった堀尾忠氏の父・堀尾吉晴は元々織田信長の家臣でしたが信長が尾張を統一して間もなく豊臣秀吉の家臣となり1573年、近江国長浜の一部に100石を与えられて、その後も播磨国姫路に1500石、丹波国黒江に3500石が加増された人物です。

秀吉に仕えてからは備中高松城攻めでは敵将の清水宗治の検死役を務め、山崎の戦いでは鉄砲頭として参加しました。

1583年1万7000石の大名となり、翌1584年には2万石に加増され、1585年佐々成政征伐に従軍、1587年九州征伐に従軍、1590年小田原征伐に従軍しました。

豊臣秀吉の死後は徳川家康に接近し、石田三成や前田利家などの藩家康はとの調整役を務めました。

1600年の関ヶ原の戦いでは徳川家康率いる東軍に与していましたが戦前に加賀井重望による殺傷事件に遭遇して負傷した父の吉晴に代わって息子の堀尾忠氏が東軍側として関ヶ原の前哨戦で武功を立てました。

その前哨戦の武功により出雲松江24万石に加増転封となりました。

この時、忠氏は築山富田城に入城し、松江藩を成立、初代藩主となりました。

しかし、月山富田城は近世の城下町を形成するためには不利だったために末次城があった亀田山に築城を開始しました。

1611年、松江城落成、1633年に堀尾忠晴が死去するまで堀尾氏は3代にわたって松江藩主でしたが後継者がいなかったため堀尾氏は改易となり、代わって若狭国小浜藩から京極忠高が入封し出雲と隠岐の領国を治めることになり、三の丸を造営し現在残る松江城が完成しました。

1637年忠高には後継者がいなかったため、京極氏は一時廃絶となり1638年に信濃国松本藩から松平直政が18万6000石で入封し、その後明治維新まで松平氏が松江藩を治めました。

1871年、廃藩置県で廃城となり、1873年廃城令により天守以外の建物は撤去されてしまいましたが、後に出雲の豪農や元藩士によって買い戻され保存できることとなりました。
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松江城の観光ポイント

松江城は国宝に指定されている現存天守はもちろんのこと、牛蒡積と呼ばれる方法で積み上げられた石垣は崩れることなく今も天守を支え続けています。

また、木造のものでは日本国内最大のや桐で造られた急な階段など当時の面影を今に伝えています。

その他、2階の四隅などには石垣に近づいてきた敵に対して石を落とすことができる石落としが備えられ、戦うための城であることを物語っています。

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