膳所城
膳所城の基本情報
名所 | 膳所城 別名:石鹿城・望湖城 |
文化財史跡 区分 | 国の重要文化財 (大手門、北大手門、南大手門) |
住所 | 〒520-0814 滋賀県大津市本丸町7 ☎077-528-2784 未来まちづくり部 公園緑地課 |
築城 | 1601年 |
築主 | 徳川家康 |
入場料 | 見学自由 |
膳所城の歴史
膳所城(ぜぜじょう)は現在の滋賀県大津市街の東側に位置しており、琵琶湖につき出した膳所崎という土地に築城されています。大津城や坂本城と並び「琵琶湖の浮城」の一つであり、また、諏訪の高島城・松江の松江城と並び三大湖城の一つでもあります。
この膳所城は1601年に前年に起きた関ヶ原の戦いで勝利を収めた徳川家康によって東海道の要所として築城されました。
江戸幕府が諸大名に天下普請として築かせた城の第一号であり、縄張りは築城の名手として名高い藤堂高虎が行いました。
昔から「瀬田の唐橋を制するものは天下を制する」と言われた唐橋に近い場所だったためと言われていますが、1662年には地震により建物が倒壊し、また、湖岸に築城されていたため時と共に水により侵食されることとなりました。
そのため、膳所城は城の補修を頻繁に行わなくてはならず、膳所藩の財政は悪かったようです。
幕末には藩内は尊王派と佐幕派が主導権を巡って争い、1865年には上洛するために当時の将軍であった徳川家茂が膳所城に宿泊することになっていましたが、藩内の尊王派に不穏な動きがあるとして、250年ぶりになる将軍の宿泊はなくなりました。
この時に膳所藩尊王攘夷派の一斉検挙が行われ、尊王派の11人が捕えられ、その内の4名は切腹、7人は斬首になりました。実際に将軍を暗殺、上洛を妨害するという計画があったのかは定かではありませんが、藩は幕府への忠誠を示すために11人を処刑しました。
捕えられた尊王派は抵抗することなく処刑されたそうです。「膳所城事件」とも「膳所事件」とも呼ばれています。
この時、捕えられていた人々が紙縒りを作って短冊に辞世の句などを書いた紙縒り文字が大津市歴史博物館に展示されています。
1870年に廃城となり、建物は移築・解体されました。市内には今も膳所城から移築された門などが点在しています。
膳所城の観光ポイント
現在は膳所城跡公園として本丸跡は整備され市民の憩いの場となっている他、春には桜の名所としても知られています。前項でも書きましたが移築されたものの内、本丸の大手門は膳所神社に北大手門は篠津神社に南大手門は鞭崎神社に現存しています。
公園内には城門や堀、土塀などが復元されている他石垣などの遺構も残っています。