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観音寺城

観音寺城

観音寺城の基本情報

名所観音寺城
別名:佐々木城
文化財史跡
区分
国の史跡
日本五大山城
住所〒521-1331
滋賀県近江八幡市安土町石寺ほか
☎0748-46-5616(安土城郭資料館)
築城1467年~1487年
築主六角氏頼
入場料安土城考古博物館:一般450円高大生300円
※小中生無料
スタンプ
設置場所
①石寺楽市会館(12月中旬~3月中旬は休業)
②観音正寺
③桑実寺
④安土城郭資料館


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観音寺城の歴史

南北朝時代に建てられたと推測されている観音寺城は、室町時代の応仁の乱では3度戦いの舞台になっている六角氏の城で応仁の乱では六角氏は一族が東西にわかれて戦っていました。

第3次観音寺城の戦いでは東軍の細川勝元が8代室町将軍の足利義政を擁して、権威を利用して西軍に属していた六角高頼の近江守護職を解任し、代わって東軍に属していた六角氏の一族・京極持清を守護に任命しました。

持清は自身に従わないものの知行地を没収できるという特権を持っており、これに激怒した高頼は第2次観音寺城の戦いで焼失した観音寺城を修築し京極軍を撃退しました。

その後、幾度か城を奪われるもその度に奪回します。

戦国時代には大規模な改築が行われましたが六角義賢・義治の時に野良田の戦いで浅井長政に敗れ、観音寺騒動と呼ばれるお家騒動が勃発し家臣団が分裂、それに伴い観音寺城は衰退していきます。

1568年、足利義昭を奉じて織田信長が上洛する際には六角氏は信長に敵対し、支城である箕作城と和田山城を落とされ、六角氏は観音寺城を無血開城し、観音寺城はそのまま廃城になったと言われています。

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観音寺城の観光ポイント

観音寺城は日本五大山城に数えられる山城で山麓に居住地が置かれた他の山城と違い山麓全体に居住できるような曲輪が配置されていたと考えられています。

そのため、正確な数はわかっていませんが1000を超える石垣で囲まれた曲輪が発見されています。

現在、土塁や石垣、虎の口などの遺構を見ることができますが山なので入山する際にはそれなりの覚悟が必要です。

また、周囲は木々に覆われているため、日暮前には下山出来るようにしましょう。

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