赤穂城
赤穂城の基本情報
名所 | 赤穂城 別名:加里屋城・仮屋城・大鷹城 |
文化財史跡 区分 | 国の史跡及び名勝 |
住所 | 〒678-0235 兵庫県赤穂市上仮屋1番地 ☎0791-43-6962(赤穂市教育委員会) |
築城 | 1466年頃 |
築主 | 岡光広 |
入場料 | 無料(見学自由) |
スタンプ 設置場所 | 本丸櫓門下 |
赤穂城の歴史
赤穂城は1466年頃に岡光広がこの地に加里屋城を築城したのが始まりと言われています。1600年、当時姫路藩主だった池田輝政の弟・長政がこのあたりの領主となり、赤穂郡加里屋に大鷹城を築城しました。
その後、1613年に堀、石垣、櫓、門などが造設され、1615年に赤穂藩が立藩し、さらに御殿が造営されました。
1631年藩主であった池田政綱は後継者がいないまま死去し、政綱の弟・輝興が入封し、櫓と馬屋を造設しましたが1645年、その輝興が発狂し自身の正室などを殺す正保赤穂事件が起こり改易されました。
その後、城は備中松山藩主の水谷勝隆の預かりとなり、同年当時駿府城代に任じられ、大坂城の加番を命じられていた浅野長直が城の受け取りに出向き、そのまま国替えとなり赤穂藩主となりました。
1645年、5万3000石で入城した長直は近藤三郎左衛門正純に命じて赤穂城の築城を開始し1661年に完成しました。
この時に城下町の整備も行われ、姫路から入植した浜子や浜人による塩業村を造り、現在でも続く赤穂の塩の経営を始めました。
以降3代にわたって赤穂藩主を務めた浅野家でしたが「忠臣蔵」でおなじみの3代藩主・浅野内匠頭こと浅野長矩が1701年3月14日、江戸城内で吉良義央こと吉良上野介を斬りつけ、即日切腹になると浅野氏は改易となり、赤穂城は播磨龍野藩主・脇坂安照の預かりとなり、1702年長井直敬が3万3000石で入封しました。
1706年、直敬が信濃国飯山藩へ移動となり、森長直が赤穂藩主を務めました。森氏はその後廃藩置県まで赤穂藩を治めることになります。
赤穂城の観光ポイント
1873年廃城令以降、1876年に赤穂城は売却され建物は破却されてしまいましたが石垣や堀などの遺構を見ることができます。また、復元された大手門や櫓などがあり、歴史公園として整備が続いています。
本丸内には御殿がありましたが以前その場所には高校が建っており、発掘調査を行っても遺構は発見されなかったそうです。
現在、復元されている御殿の間取りは東京大学資料編纂所保管の間取り図を基に復元されたものです。
その他、本丸の庭園と二の丸の庭園は国の名勝にも指定されている見事な庭園で四季折々の風景を楽しむことができます。